本文へ移動

1973年の王とのデッドヒート。あの日のノムさんが教えてくれた敗者の美学

2019年9月24日 18時51分

このエントリーをはてなブックマークに追加
先日、先輩と昔話に花が咲いた。定年後も独自の境地を切り開く先輩は「簡単にはくたばりませんよ。野村克也の精神ですよ。男はどうやって生きるべきか。そして、死ぬべきか。野村さんから学んだんだ。最後の悪あがきがイイんですよ。あの日の野村さんが目に焼き付いて離れないなあー」と遠い目で次第に興奮気味になりながら話した。ちなみに、先輩はしらふである。
あの日のノムさんとは、1973年のノムさんのことである。その年、プロ通算本塁打歴代1位のノムさんは5年遅くプロ入りした王貞治さんに抜かれようとしていた。38歳、落日のノムさんに、33歳、全盛期を迎え、飛ぶ鳥を落とす勢いの王さんである。8月初旬に563号と並ばれ、ノムさんも万事休すと思われたその日からノムさんの負けん気に火がついて、熾烈(しれつ)なデッドヒートが1カ月以上も続いたのだ。
「オレはね。あの頃、多感な高校生だったんだ。王が打てば、野村が打つ。周りのみんなは、王、王と大はしゃぎ、でも、オレは断然、野村派ですよ。野村が打つと大興奮だよ。33歳の王に38歳の野村。もう、抜かれるのは、時間の問題だったんだ。でも、負けると分かってても、簡単に負けちゃダメだってこと、野村さんが教えてくれたんだよ。敗者の美学ですよ。男の生き様ですよ。あの頃の野村さん、最高にかっこよかったなあ。きっと、野村さんは、この野郎、負けてたまるかあって気持ちで歯を食いしばってたんだよ。機会があったら、野村さんに、こんな男もいるってこと伝えといてくんない?ね?」
先輩は遠慮気味にそう言った。ちなみに、そのシーズン、王さんは585本、ノムさんは579本でフィニッシュ。翌年以降は、その差は開く一方、王さんはその後、ベーブルース、ハンクアーロンの記録を破り、868本の金字塔を打ち立て、遠くなる王の背中を見ながらノムさんは657本、45歳でバットを置いた。
あの日、先輩と話したことが頭の片隅にずっとあった。そして、先日、東京ドームでサンケイスポーツの評論家として健筆をふるうノムさんを見かけた。84歳で下半身は衰えているが、野球を見る目は鋭く、そのコラムは依然、宝石のような輝きがある。英訳されて世界で読まれるべきコラムである、と私はひそかに思っている。私が東京ドームの食堂のテーブルの端っこで仕事熱心ぶりをさりげなくアピールしようと真剣なまなざしでスコアブックにスタメンを書き込んでいると、ノムさんはその心を見透かしたように「その姿、全然、似合わんな」とニヤリと笑いながらからんできた。その絶妙の突っ込みがうれしかった。「仕事してるフリです」と照れ隠しの私はここぞと王さんとデッドヒートについて聞いた。
「最後の抵抗やな。誰にも言わんがな。コツコツ積み重ねてきたもんを簡単に破られてたまるかいな。あの時は、そういう気持ちやったな。ふふふ」
ノムさんはとても誇らしげだった。ゲームが始まると鋭い眼光をグラウンドに注ぎ、試合が終わると知人の肩を借りて、おぼつかない足取りで東京ドームの扉の向こうに消えた。男の、いや、人としての生き様。57歳の私はどう生きるべきか。84歳の背中を見ながらふと考えた―。
PR情報

購読試読のご案内

プロ野球はもとより、メジャーリーグ、サッカー、格闘技のほかF1をはじめとするモータースポーツ情報がとくに充実。
芸能情報や社会面ニュースにも定評あり。

中スポ
東京中日スポーツ