吾妻箒 一貫体制を築き全国シェア50%

2020年11月7日 05時00分 (11月7日 05時00分更新)
アズマ工業のさまざまな箒

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 昭和時代の中頃、座敷箒の全国シェア50%を誇ったのが、山林商会(今のアズマ工業=浜松市中区野口町)の吾妻箒です。
 吾妻箒が開発、販売されるまでは、座敷箒は職人が作る手編みの物が使われていました。主に関東周辺の箒職人が家内工業で作っていたため、一日に作ることができる数に限界がありました。
 一九五四(昭和二十九)年、工場で流れ作業方式で製造し、原料の箒草を栽培する契約農家を確保することで、座敷箒を全国に販売することが可能になりました。独自の製造方法は実用新案を、「吾妻箒」という名前は商標を取りました。 

◆主婦に愛されるよう名付け

 吾妻箒の名前の由来は、当時、毎日のように主婦が手にする掃除用具として、愛され、親しみを持たれることを願い、吾(わが)妻(つま)と書いて「吾妻箒」と名付けました。
 吾妻箒は、軽くてしなやかな掃き心地を生み出すため、箒草の軸の部分を切り落とし、穂先だけを均一にそろえた物を結束しました。他に例を見ない画期的な製造方法で、カラフルなカバーとともに広く受け入れられました。
 五五(昭和三十)年頃から地元浜松の農家に新しい換金作物として箒草の栽培を紹介・支援し、箒草の栽培管理から箒の製造、販売まで一貫した体制を築くことができました。
 五八(昭和三十三)年、全国シェアが拡大し、販売量が増えたため、熊本県の農家でも箒草を栽培することにしました。
 六八(昭和四十三)年、高度経済成長期で年々物価が高くなる中、より安い箒を販売するため、インドネシアに箒草の栽培農場を開拓し、現地に作った工場で吾妻箒の生産を開始しました。
 八六(昭和六十一)年には日本の箒草の栽培に適していることが分かったタイに進出しました。
 穂先の繊維が細くて、畳や床などを傷つけない、しなやかで弾力のある吾妻箒は高く評価され、アズマ工業は日本一の座敷箒のメーカーになりました。
 アズマ工業では、今でも吾妻箒をはじめ、さまざまな箒を製造、販売しています。また、「純国産ほうき」の復活にも取り組んでいます。

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