<EYES> 教育哲学者 苫野一徳さん 学問のあるべき姿は

2020年11月5日 05時00分 (11月5日 10時22分更新)
 日本学術会議の会員候補6人の、菅義偉首相による任命拒否の問題に寄せて、私もこの場を借りて一言論じたい。ただし、すでに十分に指摘されている「学問の自由」等を巡る憲法上、法律上の問題についてではなく、これからの学問のあるべき姿を考えるために。
 当初、菅首相はこれほどの騒ぎになることを想像していただろうか。もし予想していなかったとすれば、その背景には、学者や学問をいくらか軽視する世論を感じ取っていたこともあるのではないか。そして実際、そこには、私たち学者が反省しなければならない面もある。
 20世紀の哲学者、フッサールは、学問がこまごまとした「事実」を解明することばかりに精を出し、それが私たちの生にとってどのような「意味」や「価値」を持っているのか、さらに言えば、「よい社会」の本質は何かといった、哲学的な問いを見失っていることを批判した。
 実際、高度に発展した学問は今、そのすべてに精通することが極めて難しく、研究者たちはますます専門化・細分化していかざるを得ない状況にある。その結果、自分の専門分野には詳しくても、「総合的・俯瞰(ふかん)的」にその学問をどう役立てていけるか、そもそも学問はどうあるべきか、またこれからの社会はどうあるべきかといった事柄について、十分な知見と見通しを持った議論が難しくなってしまっている面があるのだ。
 哲学徒として我田引水するならば、本来、こうした問いを探究・解明するものこそ哲学である。かつて哲学はあらゆる学問の総称だった。今こそ、哲学と、そこから分化し発展した科学の再融合を果たしたい。その意味で、それが日本学術会議であるかどうかは別として、多分野の学者らが集結し、「総合的・俯瞰的」に学問と社会のこれからを考え合う場は、今後ますます重要になるだろう。

関連キーワード

PR情報

EYESの新着

記事一覧