<備える>学校防災 大川小の教訓、生かすには

2020年11月2日 05時00分 (11月2日 11時08分更新)
大川小学校での被害の様子や教訓を中学生に伝える佐藤敏郎さん=宮城県石巻市の旧大川小校庭で

大川小学校での被害の様子や教訓を中学生に伝える佐藤敏郎さん=宮城県石巻市の旧大川小校庭で

  • 大川小学校での被害の様子や教訓を中学生に伝える佐藤敏郎さん=宮城県石巻市の旧大川小校庭で
  • 震災遺構としての整備が進む旧大川小学校
  • 旧大川小を訪れ、手を合わせる研修参加者ら=宮城教育大提供
  • 宮城教育大の小田隆史准教授
 東日本大震災の津波に襲われ、最も安全であるはずの学校管理下で過去最悪の犠牲を出した宮城県石巻市立大川小学校の事故。児童七十人と教員十人の命が奪われ、今も四人の児童の行方が分かっていない。児童の遺族が起こした訴訟は昨年十月に学校側の「事前防災」の不備を認めた二審判決が確定し、終結した。学校防災に大きな課題を突きつけた東日本大震災から間もなく十年。今回の「備える」では学校防災の現在地を考える。十一月五日は津波防災の日−。 (梅田歳晴)
 土を掘る重機の音が大きく響く旧大川小の校庭。工事で周辺にロープが張り巡らされ、校舎に近づくことはできない。震災遺構として保存されることが決まり、来年三月まで整備が続く。作業音の中に「大川伝承の会」共同代表の佐藤敏郎さん(57)の言葉が、よく通った。「簡単に救えた命。救ってほしかった」
 修学旅行で十月二十一日に旧大川小を訪れた宇都宮市内の中学生約百人に語りかけた。涙を浮かべながら聞き入る生徒もいた。
 佐藤さんは大川小六年の次女みずほさん=当時(12)=を亡くした。当時、宮城県女川町の中学校教員だったが、退職して震災の語り部となった。遺族らでつくる同会を二〇一五年に発足。当時の状況や震災以前の学校の様子、子どもが地域からいなくなった悲しみなどを伝え、命を風化させない活動をしている。
 定期的に語り部ガイドを現地で実施し、昨年だけで三百団体以上、約一万五千人を案内。ただ今年一月からは、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、定期的な活動を見合わせた。宇都宮市の中学生が訪れた二十一日は、佐藤さんが個別に対応。会としての活動は十月下旬から九カ月ぶりに再開させた。
 東日本大震災では大川小を震度6弱の地震が襲った三分後、児童は校庭に避難。地域の人や迎えに来た保護者、児童も近くの山への避難を教員たちに進言する。付近を広報車が高台への避難を呼び掛けながら通過。この時点でも児童と教員は校庭にとどまり続ける。
 移動開始は近くの北上川に沿って流れる富士川の水があふれ出したころ。移動先は、学校近くの山ではなく、津波が迫る「新北上大橋」のたもとの三角地帯だった。
 地震発生から約五十分間、避難行動を取らなかった。佐藤さんはこうした被災までの流れを説明。「あの時の先生は悔しかったはずだ。後悔は、たった一分しか逃げなかったこと。先生一人一人の危機意識が全体の意思決定につながらなかった」。時間も情報も手段もあったのに救えなかった。「子どもを真ん中で考えないと」と強調した。
 児童の遺族が起こした訴訟は昨年、最高裁が石巻市と宮城県の上告を退け、仙台高裁の二審判決が確定した。同判決は震災前の「事前防災」の必要性に言及し「平時から油断せず、津波の危険性を検討し、適切な避難場所を定め、訓練をしていれば地震後、早い段階で安全な場所への避難が可能だった」と指摘。市教育委員会や学校がなすべき防災対策をしていなかったことを違法と判断した。
 「地震や噴火が起きることは変えられない。でも何十万人もの死者が出ることは、変えることができる未来だ」。修学旅行で訪れた生徒たちに、佐藤さんは訴えかけた。
 震災後の約十年で学校防災はどう変わったか。「(時間がたって)新たに分かってきたこともある。それを役立てたいとは思う。進み方が早いのか遅いのかは正直よく分からない」と佐藤さん。改善を進めるためには「ここに来て子どもたちの姿を思い浮かべてみれば良いと思う」と話した。

マニュアル策定97% 全国の小中高

 東日本大震災を受け、文部科学省は二〇一二年三月、地震や津波対策に関するマニュアル作成の手引を公表した。小中高校など全国約四万九千校を対象にした一八年度調査で、97%がマニュアルを策定。津波浸水想定区域にある約六千校のうち、90・3%が津波を想定したマニュアルを作っていた。
 学校防災に詳しい三重大大学院の川口淳准教授は「マニュアルがあることイコール対策済みではない。命の瀬戸際でどうしたらよいのかはマニュアルではなく、状況で判断すべきで、それが危機管理の基本」と警鐘を鳴らし、「教職員一人一人の防災に関する素養が大切だ」と訴える。
 文科省によると、教職員の防災教育については、全国の学校安全のリーダーとなる教職員や教育委員会の指導主事らを対象にした「学校安全指導者養成研修」を実施。大川小の教訓をカリキュラムの中に位置付け、昨年は大川小の遺族の講演も聴いたという。
 南海トラフでの地震と津波による被害が想定される三重県では震災以降、市町教委の防災担当課長や校長が参画する「学校防災緊急対策プロジェクト」を立ち上げた。県内全ての児童生徒に防災教育を実施するため、一二年二月に「防災ノート」を作成し、私学を含む全ての学校に配布。本年度からは、被災した学校を支える「災害時学校支援チーム」のメンバーとなる教職員の育成を始めた。
 愛知県教委は、県内の防災の具体的取り組み事例を集めた「あいちの防災教育マニュアル」を一七年十一月に発行。県内の小中高校、特別支援学校に配布した。十年前の一一年三月に作成した「あいちの学校安全マニュアル」は改訂を進めており、本年度末に各校に配布する予定だ。

保護者への引き渡し 事前にルールが必要

 東日本大震災では、保護者に児童生徒を引き渡すなどして「学校管理外」で、命を亡くしたケースもあった。
 震災当時、岩手県陸前高田市の米崎中校長だった阿部重人さん(68)は学校が海抜三〇メートルの高台にあったことから、保護者が迎えに来ても生徒を引き渡さなかった。地震後、数十人の保護者が来たが、引き渡し後に津波に巻き込まれる可能性を心配して判断した。同中の生徒は全員無事だった。
 文部科学省の手引では「児童生徒を引き渡さず、保護者とともに学校にとどまることや避難行動を促すなどの対応も必要」と示されている。岩手県教育委員会の指針では「二次災害の恐れがある場合や津波警報が発表されている場合は引き渡しは行わず、学校管理下で保護する」と決めている。
 ただ、震災時には通信手段が断たれ、当初は情報自体も入ってこないために、災害の全体像が見えない恐れもある。
 同市教委の金賢治前教育長(61)は「学校自体が安全ではない場合もあり、臨機応変な状況判断が必要。シンプルに津波の来ないところに逃げることが大事」と振り返った上で、保護者と事前にルールを決めておくべきだとした。

伝承と防災強化へ教職員研修 宮城教育大、災害警戒地域が対象

 東日本大震災の教訓の伝承と教育現場の防災強化を目的に、宮城教育大(仙台市)は三月と八月の年二回、南海トラフ地震などの災害警戒地域の教職員を対象とした視察研修を実施している。
 昨年八月に初めて開催。今年の三月はコロナ禍で中止となったが、八月は三密回避のため参加者を十三人に絞った上で実施した。東海地方や四国などから校長や市教育委員会指導主事、教諭らが参加し、三泊四日の日程で被災地を巡った。
 岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)地区や宮城県石巻市の大川小跡地などを訪問。遺族らから話を聴き、ワークショップなどで学校現場の災害対応の教訓などを共有した。統括プロデューサーの武田真一・宮城教育大特任教授は「大勢の命が救われ、大勢の命が失われた現場を直視し、何があったのかを一緒に考えてほしい」と話している。

平時の準備がより大切 宮城教育大・小田隆史准教授

 防災教育に詳しい宮城教育大の小田隆史准教授に震災後の学校防災の進展などについて聞いた。
 −この十年で学校防災はどう進んだか。
 耐震化や津波避難用の階段設置など施設のハード対策は目に見えて進んだ。ソフト面では法で定めるマニュアルもほぼ全ての学校で整備された。教職員の防災を含めた「学校安全」の意識も格段に高まった。
 −課題は。
 意識は高まったが、その意識を個人の防災力としていかに高めていくか、どう備えに結び付けるかが課題だ。学校ごとに実情や特徴が異なる。必ずしも教員が学校や周辺のことを知っているわけではない。退職や異動で教員の入れ替えがあっても、学校安全が継続的に担保されるような「システム化」が求められる。
 −大川小の教訓と震災遺構としての役割をどう考えるか。
 「地震が起きて津波が来るまでの間に何ができるか」ではなく、平時に、事前に取り組むことが重要。学校自体がどのような備えをするのかは地域の人と共有し、第三者の有識者を頼ってもよい。実際に被災現場で被災の実相に触れる。大川小をなぜ残すことになったのか思いを巡らす。暑い日も寒い日も遺族が語る思いを想像する。そうすると、命を守ることを真剣に考えられるようになる。

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