浜松城天守閣 昭和再建時、最終案前の2種類発見

2020年10月31日 05時00分 (10月31日 05時03分更新)
今回新たに見つかった2階建ての設計図

今回新たに見つかった2階建ての設計図

  • 今回新たに見つかった2階建ての設計図
  • 検討案の3階建て設計図
  • これまで市が確認していた最終案の設計図
 浜松市は三十日、一九五八年に完成した浜松城復興天守閣の設計図が発見されたと明らかにした。見つかったのは最終案に決まる前の図面で三階建て、二階建ての二種類あり、外観の検討を繰り返した過程がわかる。市博物館(中区)で開催中の特別展「浜松城−築城から現在へ−」で十一月七〜二十九日に公開する。 (渡辺真由子)
 市公園管理事務所から見つかった。高さ九メートルの二階建て、同十三メートルの三階建ての青図と呼ばれる転写図で、二階建ての図面は五五年、三階建ては五五〜五七年に製図されたとみられる。作図者はわかっていない。
 初代天守閣は一五九〇年、当時の浜松城主だった堀尾吉晴が築いたとされる。江戸時代前期の十七世紀半ばには、何らかの理由ですでに失われていたという。その後、天守閣がない状態が続いていたが、一九五七年に国民体育大会が開かれることが決まり、再建の機運が高まった。市民有志らが五六年、浜松城再建期成同盟会を結成。市民からの寄付金約九百万円を含む約千四百万円を投じ、三階建てで再建した。
 市文化財課によると、初代天守閣について記した絵図や設計図、古文書は全く残っていない。五五年の図面では二階建てだったが、途中から三階建てに変更している。市文化財課の鈴木一有(かずなお)課長は「再建の設計図は手探りで作っている。寄付金が集まり、予算的に規模拡大が可能になったからでは」と推し量る。
 見つかった二つの図面では一階部分がしっくい塗装になっているが、最終案では下見貼りと呼ばれる黒い板張りに変わっている。戦国時代から安土桃山にかけて造られた城は、下見貼りで作られていたことから、鈴木課長は「設計時に時代考証を進める中で、できるだけ当時の姿を復元しようと変更されたのではないか」と話す。

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