浜松城築城 野面積みの石垣 浜名湖周辺から石材

2020年10月31日 05時00分 (10月31日 05時00分更新)
1958年に建てられた浜松城

1958年に建てられた浜松城

  • 1958年に建てられた浜松城
 今年は、1570(元亀元)年に徳川家康が引間城(浜松市中区元城町 今の元城町東照宮とその周辺)を改修し、「浜松城」と名前を改めてから450年になります。
 織田信長と同盟を結んだ家康は、1568(永禄11)年、三河(愛知県東部)から遠江(静岡県西部)に勢力を伸ばしました。
 三河と遠江の2カ国を領地とした家康は、それまでの居城の岡崎城(今の愛知県岡崎市)を息子の信康に譲り、遠江に本拠地を移すことにしました。
 家康は、最初、遠江の国府の所在地で政治や商業の中心地であった見付(今の磐田市見付)に城を築こうとしました。いつの日か武田信玄と戦うことを考えると、背後に天竜川が流れる地形は「背水の陣」になって逃げ場がなくなることや、信長の援軍が駆けつけにくいことなどから、浜松に築城することにしたといわれています。
 家康は、引間城を西に広げ、三方原台地の縁の階段状の地形を利用して浜松城を築きました。西側の一番高い所から東に本丸、二の丸などを配置し、周りに堀や土塁を巡らした東向きの城です。
 家康は、駿府城(今の静岡市)に移るまでの17年間を浜松城で過ごしました。

◆400年以上前 当時の面影伝え

 1590(天正18)年、豊臣秀吉の家臣堀尾吉晴が城主になると、石垣や天守を築きました。石垣は、「野面積み」というあまり加工していない自然の石を巧みに積み上げる技法が用いられ、高さが5メートルを超える所もありました。石材は、大草山や根本山など浜名湖周辺から佐鳴湖まで船を使って運ばれました。
 浜松城の石垣は400年以上の時を経て、当時の面影を伝えているのです。
 今、私たちが見ている天守は、1958(昭和33)年に建てられたコンクリート製の模擬天守です。3層3階、地下1階の約200平方メートルの広さですが、実際に建てられた天守は270平方メートルほどあったそうです。
 2014(平成26)年、天竜杉を使って、高さ9・4メートル、幅11メートル、奥行き5メートルの天守門が復元されました。門の上にある櫓には武器や食料を保管し、城を攻めてくる敵を弓矢や鉄砲で迎え撃てるようになっていました。

<もっと知りたい人へ>
見学場所:浜松城(浜松市中区元城町100―2)
イベント:浜松市博物館(浜松市中区蜆塚4丁目22―1 特別展「浜松城―築城から現代へ―」11月29日まで)

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