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<あいちの民話を訪ねて>(14)弁慶と二子山(江南市)

2020年10月25日 05時00分 (11月1日 11時39分更新)
5世紀末に造られたとされる古墳。土器や馬具などが出土した=江南市曽本町で

5世紀末に造られたとされる古墳。土器や馬具などが出土した=江南市曽本町で

  • 5世紀末に造られたとされる古墳。土器や馬具などが出土した=江南市曽本町で
  • 死者を供養するため建てられた地蔵=江南市曽本町で
  • 地蔵を建てた住職がいたとされる本曽寺=江南市曽本町で
 江南市曽本町にある前方後円墳を、地元住民はその形から「二子山」と呼んできた。一八四一(天保十二)年の村絵図にも、二子山の形が緑色に書き込まれている。
 五世紀末にできたとされる古墳で、そのころ住んでいた豪族を葬った墓だ。四九(嘉永二)年と八七(明治二十)年の二度、発掘調査が行われ、くつわやかぶと、よろい、仏像などが出土。一部は現在の東京国立博物館に寄贈された。
 伝わる民話はほのぼのとしているが、実は恐ろしい歴史が残っている。
 かつて近くの県道の改修工事の際、この山の土地を利用したところ、工事に従事した住民が何人も圧死したり、地元で病気がはやったりした。地元の本曽寺の住職が奔走し、地蔵を建立し、亡くなった人々を供養した。
 当時は、むやみに登ることは禁じられていたようだが、今は斜面に階段が取り付けられ、頂上に登れるようになっている。ふもとは小さな公園が整備され、家族連れや犬の散歩のため、市民が訪れる憩いの場だ。
 江南郷土史研究会の山田信夫さん(74)によると「地元の人でもほとんど知らない民話。事故のことも知られていない」。ここから小牧山の上に現れる初...

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