皇室と県民つながり回顧 県立歴史博物館24日から特別展 

2020年10月22日 05時00分 (10月22日 14時28分更新)

 学芸員橋本さん 行幸、行啓に注目

 日本人は近現代史が苦手だと言われる。複雑さに加え、受験が迫って中学や高校の授業は駆け足で終わるからだ。そんな近現代史を専門とする数少ない学芸員の一人が、県立歴史博物館(福井市)の橋本紘希さん(33)。二十四日からは担当する特別展「明治から平成 皇室とふくい」が同館で始まる。橋本さんは「一人一人が皇室とのつながりを考えるきっかけになれば」と話す。 (藤共生)
 島根県出身。同館に赴任して三年目を迎え、初めて特別展を担当した。きっかけは、二〇一六(平成二十八)年に天皇陛下(現上皇さま)が生前退位についての「おことば」を発表されたこと。「私たちにとって象徴天皇とは何か。議論が再燃した。その中で、福井において皇室と県民がどう関わってきたのかが気になった」
 橋本さんが注目したのが「行幸」「行啓」だった。天皇が出掛ければ「行幸」、皇太子や皇后などなら「行啓」と言う。江戸時代の天皇は京都から外出することはほぼなかった。明治になると、天皇を新たな君主として国民の前に示すため行幸が始まった。橋本さんはこの記録を調べた。

1933年の大演習で演習場に向かう昭和天皇=『陸軍特別大演習記念写真帖』から抜粋(県立歴史博物館蔵)

 

昭和8年の大演習を記念した石碑を眺める橋本さん=県庁敷地内で

明治から現在まで天皇や皇太子は十度以上、来福している。一度目は一八七八(明治十一)年。「北陸東海巡幸」の途中、天皇が五日間かけて福井を縦断した。記録では、天皇が上を歩いたむしろを持ち去った人もいたという。橋本さんは「当時の人々にとって、今よりも神聖な存在だった」と考えている。
 戦前の行幸、行啓で最大規模だったのは、一九三三(昭和八)年に坂井郡で行われた陸軍特別大演習だ。開催決定から本番までの十カ月間、県内の人々は準備に追われた。道路や橋を整備し、県職員と関係市町村の職員は総出で対応に当たった。生物学に造詣の深かった昭和天皇のために、県内の小中学生を大量に動員して博物採集を行い、標本も作った。
 演習後は分厚い記録集をまとめ、本営が置かれた県庁には「大本営行在所(あんざいしょ)記念碑」が建てられた。まさに県を挙げての大イベントだった。しかし現在、記念碑の存在すら知る人は少ない。橋本さんは「社会の変化によって人々の記憶は風化していくのだと感じた」。特別展が「皇室との関係を改めて振り返る機会になれば」と期待を込めた。
 特別展は二十四日から十一月二十九日まで。観覧は一般四百円、高校大学生三百円、小中学生と七十歳以上は二百円。十一月二十一日午後二時から、館内で橋本さんが「昭和八年の陸軍特別大演習とその時代」と題して講演する。

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