岡崎・広忠寺の扁額、朝鮮通信使の書でなかった 研究会員が確認、掛け軸は真筆

2020年10月19日 05時00分 (10月19日 05時02分更新) 会員限定
朝鮮通信使直筆の掛け軸について話す貫井さん(左)と小田さん。手前は姫路藩主によるものと分かった扁額=岡崎市桑谷町の広忠寺で

朝鮮通信使直筆の掛け軸について話す貫井さん(左)と小田さん。手前は姫路藩主によるものと分かった扁額=岡崎市桑谷町の広忠寺で

  • 朝鮮通信使直筆の掛け軸について話す貫井さん(左)と小田さん。手前は姫路藩主によるものと分かった扁額=岡崎市桑谷町の広忠寺で
 岡崎市桑谷町の広忠寺に掲げられている寺の名を記した扁額(へんがく)が、従来考えられていた朝鮮通信使の書を基にした額ではなく、徳川家と深いつながりがあった姫路藩主酒井忠恭(ただずみ)の書と分かった。元大学講師らでつくる「東海地方朝鮮通信使研究会」が十七日に広忠寺を訪れて確認した。
 寺の扁額と、寺が保管している朝鮮通信使が「広忠寺」としたためた墨書の掛け軸を、研究会の貫井正之代表(83)=名古屋市千種区=らが本堂に並べ、字体の違いなどを確認した。
 研究会の会員で、二年前に岡崎市内の滝山寺で朝鮮通信使の扁額を見つけた小田章恵さん(76)=岡崎市=が今年六月に広忠寺の扁額を調べたところ、裏に刻まれていた漢文に経緯が詳しく記されていた。当初は通信使の海峯の書を基にした扁額が掲げられたが、後に住職が取り換えたと明記されていた。
 扁額には、忠恭の号が記されており、調査の結果、忠恭の書を基にしていることも分かった。
 貫井代表によると、広忠寺にある掛け軸の墨書は通信使の真筆で「大変貴重。当初掲げられていた扁額もきっとどこかにあるはずだ」という。
 朝鮮通信使に関する資料は、二〇一七年に国連教育科学文化機...

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