<すっきりさせます>(33) 「奥の細道」終着地 なぜ大垣?

2020年10月19日 05時00分 (10月19日 05時00分更新) 会員限定
芭蕉が門人に宛てた手紙について解説する山崎さん=大垣市船町の奥の細道むすびの地記念館で

芭蕉が門人に宛てた手紙について解説する山崎さん=大垣市船町の奥の細道むすびの地記念館で

  • 芭蕉が門人に宛てた手紙について解説する山崎さん=大垣市船町の奥の細道むすびの地記念館で
  • 「結びの地」の石碑近くに立つ松尾芭蕉(左)と谷木因の像=大垣市船町で
 江戸時代の俳人、松尾芭蕉(1644〜94年)の代表作の一つが「奥の細道」。江戸から奥州、北陸道を巡った全行程約2400キロの終着地が大垣だ。旅の締めくくりはなぜ大垣だったのか。偶然か。それとも必然だったのか。旅の背景を探った。 (柳田瑞季)
 奥の細道や芭蕉の人生を紹介する大垣市の観光スポット「奥の細道むすびの地記念館」では、芭蕉が旅の前に門人へ宛てた手紙の内容が紹介されている。熱田(名古屋市)の門人への手紙には「仙台より北陸道、美濃へ出る。途中であなたのところへ寄ることもあるかもしれない」と書かれている。
 学芸員の山崎和真さん(33)は「芭蕉は、初めから美濃国に向かうことを決めていた」と指摘する。当時、美濃国にいた門人は岐阜と大垣の二カ所。「岐阜に住む門人二人に出した手紙も残されているが、いずれにも岐阜に立ち寄るとは書かれていない。目指していたのは大垣と考えられる」と話す。
    ◇
 最初から締めくくりの地に大垣を考えていたとすると、その理由は。「江戸に次いで、古くから付き合いのある親しい門人が複数いたから」と山崎さんは説明する。芭蕉の別の紀行文「野ざらし紀行」でも大垣に立ち寄ってお...

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