<山車に魅せられて> 誓った祭りの復活、結実

2020年10月18日 05時00分 (10月18日 11時40分更新) 会員限定
古場地区の新しい山車を見つめる八木さん(左)と山崎さん=常滑市古場で

古場地区の新しい山車を見つめる八木さん(左)と山崎さん=常滑市古場で

  • 古場地区の新しい山車を見つめる八木さん(左)と山崎さん=常滑市古場で
  • 1969年4月、山車の前で記念撮影する八木さん(手前)ら
 半世紀ほど前の一九六九年春、常滑市古場地区から山車の文化が途絶えた。山車を引く青年団の団員はわずか五人で、警察の許可を得るのに必要な十人を満たさなかったからだ。
 五人のうちの一人だった八木幸雄さん(71)は当時二十歳。保管庫から山車を出して写真を撮ると、五人の顔には、晴れ舞台を失った空虚感がにじんだ。これを最後に青年団は解散した。
 「いつか山車を復活させる」と八木さんは誓ったが、地区では「祭りは前時代的」という負のイメージが広がり、山車とともに囃子(はやし)や獅子舞も途絶えた。「いつか」の思いは消えた。
 転機は、常滑の伝統文化の復活、保存を図っていたグループからの「祭り復活」の勧めだった。当時は二〇〇〇年代初頭。八木さんの脳裏に「二十歳の誓い」がよみがえった。
 八木さんが中心になって地区で祭りの魅力を説き、三十〜四十代の八人で囃子の保存会を発足。〇三年春には太鼓を載せた「勇み車」が復活し、軽やかな囃子が一帯で鳴り響いた。
 念願の山車の復活は一四年だった。常滑市小鈴谷の山崎稔幸さん(55)が、私的に所有していた山車を保存会に奉納した。古場の祭り復活を夢見て支えてきた「祭り男」の一人だっ...

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