キックボクシング創立55年…RIZINでも活躍 老舗ジム代表「若い人継承、うれしい」【山崎照朝コラム】

2020年10月14日 20時00分

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選手に厳しい目でアドバイスをする伊原信一代表

選手に厳しい目でアドバイスをする伊原信一代表

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 キックボクシングは来年、創立55年の節目を迎える。ボクシングプロモーターの野口修氏が1966年4月に日本キックボクシング協会を設立したのが始まりだ。その流れを継承してきた藤本ジムの藤本勲会長が5月に肺炎で亡くなった後、渋谷区代官山でキックボクシング&フィットネス「伊原道場」を構える伊原信一代表(69)が引き継いでいる。
 全盛期はテレビ4局が視聴率を競ったキックボクシング。伊原代表は“野口イズム”が浸透する老舗ジムに誇りをもっている。それがうれしい。後楽園ホールで年間8大会を開催し、試合中は役員席を飛び出し、リングサイドで選手にげきを飛ばすなど型破りのパフォーマンスを見せることもある。そんな伊原さんにキックへの思いを聞いた。
 「僕はキックボクシングが格闘技の中で最強だと思ってます。ほんと、好きですね。子どもたちがもっともっとキックが好きになるようにできる範囲のことはやってあげたい。キックのいいものを若い人たちが継承してくれるのは本当にうれしいこと。見て覚えるよう、私たちが先導役になろうと思っています」
 身ぶり手ぶりをまじえて熱い思いを語る伊原さん。「礼儀を厳しく言ってます」と語るように、キックに武士道精神を重ねている。
 伊原さんは福岡県出身。妹と弟の3人兄弟で幼少期は施設で育った。そんな生活を送りながらボクシングの世界王者を夢見て16歳で上京。そして「蹴りがあった方が俺に向いている」と17歳で目黒ジムに入門し、キックの世界に。強いハングリー精神で2年後に日本フェザー級、21歳で同ライト級の各王座を獲得した。
 27歳の時、初開催だっった中量級トーナメントを制覇。翌年、WKBA世界ウエルター級王座を獲得したのを機に「伊原道場」を開設した。ジム経営との二足のわらじで現役を続け、38歳で退いた後に「新日本キックボクシング協会」を立ち上げて代表に就任した。
 タイの国技であるムエタイに“追いつけ追い越せ”の精神で1999年から5年間、タイにジムを構えて選手の育成に乗り出した。ムエタイ関係者と摩擦も生じたこともあったという。
 「ルールを重んじてちゃんとやります。日本の武道には礼儀がある。礼儀を重んじ、『たいしたものだと言われることをやります』と話したんですよ」と伊原さん。武士道説得術で乗り切ると同時に、選手の強化もうまくいったようだ。「スタジアムを借り切ってやるのですからやっぱり強くなりました」。
 最近は活動の幅を広げている。総合格闘技の「RIZIN」や打撃の「RISE」に、新日本キックから江幡塁(WKBA世界スーパーバンタム級王者)や勝次(同スーパーライト級王者)が参戦している。
 「こちらから売り込んでるわけではないが、話があれば、選手の士気が上がります。勝負ですから何も気後れすることもありません」と伊原さん。あくまで選手ファーストでの参戦だという。
 ここでキックボクシングのおさらいをしておきたい。1960年代、野口氏がムエタイにほれこんだのがそもそものきっかけ。目をつけたのが、幼少のころから剛柔流空手を学び、日大芸術学部在学中に全日本学生選手権を制覇した沢村忠(本名・白羽秀樹)だった。
 協会旗揚げの目玉として勧誘。沢村は必殺技の“真空飛び膝蹴り”で瞬く間にお茶の間をとりこにし、キックは一躍全国区の人気スポーツになった。伊原さんは、草創期からその沢村の付け人を務めながら精進した。そんな“本流”を歩んできた誇りが情熱になっている。
 いま、打撃系の格闘技の人気は根強く。団体数は2桁を数える。一本化は大きな課題だが「うちには良いタレント(選手)がいっぱいいます。12月のRIZINに出るのも本決まりです」と伊原さん。夢はテレビ地上波での復活だそうだ。「女子の格闘家も増えている。良いものは男も女も関係ない。いいものはどんどん出していかないと」。毎年、暮れは格闘技人気に沸く。ますます楽しみになってきた。(格闘技評論家)

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