柴田水穂 「ハイ」押し「ザー」 自動計量米びつ発明

2020年10月3日 05時00分 (10月3日 05時00分更新)
 柴田水穂さん(1915~94年)は、湖西市に生まれました。
 水穂さんは、幼い頃から機械いじりが好きでした。小学生のときに廃材からモーターや電鈴を作り、中学生のときにはラジオを作りました。日本でラジオ放送が始まったのが25(大正14)年のことです。その数年後に、当時としては珍しいラジオを中学生の水穂さんが作り、どんなものか聞きたいと毎晩多くの人が集まったそうです。
 大学生になると学校での学習をはじめ、設計事務所や自動車修理などのアルバイトで技術と知識を磨きました。卒業後は豊田自動織機製作所の自動車研究部で技術を高めました。
 戦後、浜松でオートバイ産業が発展すると、51(昭和26)年、浜松市中区竜禅寺町に富士製作所(今のフジコーポレーション、森町)を設立しました。水穂さんは、自分が設計した機械でオートバイなどの部品を製造しました。そして、金属を加工するプレス機械開発の先導者として活躍しました。

◆製品さまざま 暮らし豊かに

 水穂さんが「自分で製品を発明したい」と取り組んだのが「ハイザー」と名付けた自動計量式米びつです。命名はレバーを「ハイ」と押すだけで適量の米を「ザー」と量れることに由来します。
 当時は、一日三食、主食のほとんどがご飯でした。家庭ではブリキなどでできた大きな米びつに米を保管していました。新しく米を買うたびに上から入れると、下に残った古い米から虫がわいたり、カビが生えたりすることがありました。升や計量コップで米を量るのも大変で、米粒をこぼしてしまうこともありました。
 ハイザーは、63(昭和38)年に発明、販売されました。前面に米の残量が分かる小窓があり、三つのレバーを押すとそれぞれ1合、2合、3合と計量して受け皿に移してくれました。レバーを押すのが面白くて、お手伝いをする子が増えました。上から新しい米を入れるのはブリキの米びつと同じですが、下から米を出すため、古い米が残る心配もなくなりました。 
 ハイザーは発売1年間で実に70万台も売れ、大ヒット商品になりました。
 水穂さんは、当時は大きな瓶に入っていた醬油を小分けする「ビンザー」や家庭用餅つき機など、さまざまな製品も発明しました。水穂さんが発明した台所用品は、作業の手間を省き、暮らしを豊かにしました。
 こうした功績が認められ、90(平成2)年、科学技術庁長官賞を受賞しました。

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