<すっきりさせます>(31) 戦時中、美濃和紙で紙幣すく?

2020年9月28日 05時00分 (9月28日 09時12分更新) 会員限定
1945年12月の決算書を読み込む大塚さん=美濃市内で

1945年12月の決算書を読み込む大塚さん=美濃市内で

  • 1945年12月の決算書を読み込む大塚さん=美濃市内で
  • 大蔵省指定工場に指定されたことを示す指定書=大福製紙提供
 美濃市の伝統産業品「美濃和紙」。紙業会社「大福製紙」(同市前野)が「戦時中に美濃和紙で紙幣をすいていた」という言い伝えがある。その真偽を確かめるため、6年前まで同社で勤務し、市の歴史にも詳しい大塚高明さん(71)=同市千畝町=に話を聞いた。 (森健人)
 大塚さんは大学卒業後、一九七三(昭和四十八)年に入社。営業や総務に従事し、二〇一四年ごろ退社した。今でも、市民から「昔、大福製紙で紙幣をすいていたんですか」と聞かれることがあるという。
 大塚さんが趣味で集めた資料や同社によると、大福製紙は、市内の和紙卸問屋「松久永助紙店」の三代目松久永助が一九三四(昭和九)年に設立し、仲間とともに機械すき和紙の工場を現在地に建てた。謄写版原紙や西陣織に使われる金銀糸の原紙など多くの紙製品を作り、四〇年ごろには経営も軌道に乗り始めた。
    ◇
 しかし、世は戦争の時代へ突入。ぜいたく品の統制で金銀糸の生産も禁止され、ようやく安定し始めた会社の経営は苦しくなった。そのとき転機が訪れる。紙幣を印刷する大蔵省(現財務省)印刷局の指定工場に指名されたことだ。
 大塚さんが所有する同社の四五年十二月の決算書には次の...

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