<異郷に生きて>【番外編】 県立大・河かおる准教授に聞く

2020年9月26日 05時00分 (9月26日 05時00分更新) 会員限定
「在日韓国・朝鮮人に『戦後の平和』は当てはまらなかった」と話す河准教授=彦根市の県立大で

「在日韓国・朝鮮人に『戦後の平和』は当てはまらなかった」と話す河准教授=彦根市の県立大で

  • 「在日韓国・朝鮮人に『戦後の平和』は当てはまらなかった」と話す河准教授=彦根市の県立大で
 戦前に生まれた県内の在日韓国・朝鮮人一、二世の四人に戦後七十五年に思うことを聞く連載「異郷に生きて」を、二十二〜二十五日に掲載した。四人が語った植民地時代の朝鮮の実情や、戦後に受けた差別の体験などをどのようにとらえれば良いのか。在日韓国・朝鮮人の歴史に詳しい県立大人間文化学部の河かおる准教授(48)に話を聞いた。 (森田真奈子)
 −話を聞いた四人はいずれも現在の韓国南部の慶尚南道の出身。「農家では生活できず、日本に来た」との話が目立った
 日本政府は一九一八年の米騒動を受けて米不足を解消するため、二〇年代から朝鮮半島を食糧基地にする「産米増殖計画」を進めた。朝鮮半島南部を中心に、農家に対して米の単作化を推奨し、生産量を増加させて日本内地に運んだ。
 しかし、二九年の世界恐慌により農産物の価格が下落し、日本の農村が打撃を受けると、日本政府は朝鮮から内地への米の移出を抑制させた。これにより、朝鮮の米価が大暴落し、三〇年代に朝鮮の農家は貧困に陥って日本や旧満州(中国東北部)へ渡航する人が増えた。
 −朝鮮で伝統的に着ていた白衣が、戦争が深刻化すると徐々に着られなくなったとの証言もあった
 朝鮮総督...

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