<あいちの民話を訪ねて>(11)十三本塚の悲劇(豊橋市)

2020年9月20日 05時00分 (9月20日 05時00分更新) 会員限定
龍拈寺の山門=豊橋市新吉町で

龍拈寺の山門=豊橋市新吉町で

  • 龍拈寺の山門=豊橋市新吉町で
  • 埋葬地にある慰霊の石碑=豊橋市富本町で
  • 福岡地蔵尊の隣の看板に犠牲になった13人の名前が記されている=豊橋市小池町で
 戦国時代、東三河で影響力を持つ今川家の人質となっていた松平元康(徳川家康)側の武将の妻子十三人が処刑されたのは、十六世紀前半に創建された龍拈寺(りゅうねんじ)(豊橋市新吉町)の門前だった。
 十三人の遺体は、龍拈寺から離れた現在の豊橋市富本町の寺領に埋葬された。埋葬地にある石碑は「十三本塚」と呼ばれており、富本町の町名は「十三本(とみもと)」が由来となったともいわれている。
 また、埋葬地に近い豊橋市小池町には「福岡地蔵尊」がまつられており、地元の小池福岡町内会が設置した看板には、十三人の名前が記されている。その中には奥三河の武将の妻の名もあるという。
 小池福岡町内会は現在、毎年八月に地蔵盆に合わせて福岡地蔵尊前で慰霊の例祭を営んでいる。
 悲劇の舞台の一つとなった龍拈寺は一九四五年の豊橋空襲でほとんどの建物と資料が焼失した。焼け残った山門は処刑後の一六九三年建立だ。本堂などの建物は空襲後、再建された。
 ただ、現住職の竹村信也さん(43)は「話は子どもの時から聞かされてきた。現在まで伝えられてきたことが、大きな事件だったことを物語っている...

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