【わがまちの偉人】福祉に尽くした生涯 山崎 乙吉 1930〜2018年

2020年9月20日 05時00分 (9月20日 12時11分更新)
山崎 乙吉

山崎 乙吉

  • 山崎 乙吉
  • 病気や障害のある子どもたちのために奔走した山崎(左から2人目)

射水市 心臓病の子どもを守る会設立

 病気の子どものための医療体制の拡充や、障害のある人が参加できる成人式の立ち上げに奔走した。社会的に弱い立場に置かれやすい人々を思い、最期まで力を尽くした。「趣味は仕事」。長女の高瀬嘉子(62)は、山崎の生きざまをそう振り返る。 (山岸弓華)
 福祉に身をささげるようになったのは、嘉子が幼少時に心臓病を患ったことだった。当時心臓病の治療には多額の資金が必要だった。費用を工面できない保護者も多く、手術を受けられず亡くなる子どももいた。
 そんな状況に心を痛めた山崎は、一九六六年に「心臓病の子どもを守る会」を設立。県に手術の費用を助成するよう直談判し、全国に先駆けて、その予算化を実現させた。心臓病のほか、知的や心身など、さまざまな障害のある人たちと交流を持つようになり、七五年に「県障害者(児)団体連絡協議会」(障連協)を設立した。
 養子として引き取った守(45)の存在も大きかった。生まれつき両腕が欠損していた守のため、山崎はバリアフリーの必要性を強く感じるようになった。各団体とともに県議会に働きかけ、障害者の人権を尊重する条例の制定にこぎつけた。
 守を通じて、山崎は障害のある子どもの保護者と親交を持つようになった。障害ゆえに「長生きはできない」と宣告されている子どもも多い。保護者にとって、子どもが二十歳を迎えることは大きな節目だった。そんな親心をくみ、成人した障害者にも晴れ着を着てほしいと、八一年に「障害者の成人を励まし祝う会」を開始。車いすに乗っていても、人工呼吸器をつけていても、人生の節目を迎えることができた喜びを平等にわかちあった。
 活動の原点には、戦争体験がある。戦時は「お国のために」と特攻隊に志願した。終戦後、平和憲法に基づく教育が始まった。戦争の悲惨さと理不尽さを感じ、貧富の差など社会への問題意識を強くしていった。
 表舞台に出ることは好まず、あくまで組織の調整役に務めた。三十年来の付き合いがあった射水市身体障害者協会の久々江除作(79)は「頭がきれて、人のやれないことをやる。すばらしい人だった」と評する。
 嘉子は現在、障連協の事務局長を務める。「障害者が当たり前に社会に出て活躍できるよう、頑張っていきたい」と父親の思いを継ぐ。 =敬称略

 やまざき・おときち 射水市出身。1966年に県内の保護者らとともに「心臓病の子どもを守る会」を設立。「国際障害者年」である81年に「障害者の成人を励まし祝う会」を始めた。2018年1月、脳出血により死去。


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