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【石川】時代支えたタンク 後世に 三重の博物館で展示へ

2020年9月16日 05時00分 (9月16日 10時11分更新)
貨物鉄道博物館に向けて運び出されるタンク=石川県七尾市矢田新町で

貨物鉄道博物館に向けて運び出されるタンク=石川県七尾市矢田新町で

 旧七尾鉄道で使用、国内最古?


 石川県七尾市の石油製品販売「共立商事」が管理していたタンクが、貴重な貨車などを扱う三重県いなべ市の「貨物鉄道博物館」に展示されることになった。JR七尾線の前身の七尾鉄道時代に燃料輸送に使われていたとみられ、鉄道愛好家らの間では国内で最も古いものと評されていた。同社で行う施設解体工事に伴い、タンク撤去も決定。博物館に引き渡された。 (稲垣達成)

 溶接より前の製法


 「鉄くずになったら戻ってこない。後世に残されることになり、ほっとしている」。約二十年前、鉄道雑誌に寄稿し、タンクの存在を広く知らしめた能登里海教育研究所(石川県能登町)の浦田慎(まこと)さん(46)が語る。
 浦田さんによると、タンクは直径一・八メートル、全長四・五メートルの円筒形。丸みを帯びた複数の鉄板を、リベット(接合部品)を打ち込んでつなぎ留めてあり、溶接が一般化する昭和期より前の製法という。タンクの前後の面には木枠で貨車に固定した跡が残り、研究者らの調査では明治期のものと推定されている。全国でも同型のタンクは現在確認されておらず、浦田さんは「初期のタンクの構造やそれを貨車に固定した方法がうかがい知れる」と意義を語る。
 同社がある七尾市矢田新町は、物資輸送のために敷設された七尾鉄道の発祥の地とされる。浦田さんによると、タンクは貨車の廃止後に油槽所に引き取られ、漁船の燃料となる混合油を調合する際などに使われていた。
 理由は不明だが、タンクは役目を終えた後も処分されずに残された。「社史に残っていないが、社内でも貴重なものらしい、と伝えられている」と同社の高島慎二社長(49)。手入れをすることもなくひっそりと管理してきたが、全国から見物人が訪れていた。
 転機は六月ごろ。老朽化で敷地内の配管や倉庫など石油関連施設の解体が決まり、タンクも撤去されることになった。「壊すのは簡単だが、貴重なものと聞いていただけに心苦しかった」。七尾市や鉄道博物館(さいたま市)などに無償での引き取りを依頼したが、実現しなかったという。
 同じころ、知人を通じてタンクの撤去を知った浦田さんは、開館時から運営ボランティアとして携わっている貨物鉄道博物館に引き取りを打診。譲渡が実現した。高島社長は「後世に残り一般の人に広く見てもらえると思うとうれしい」。
 タンクは九日に運び出され、十日に博物館に到着。博物館事務局の新山仁さん(51)は「地域の産業を支えてきた遺産の一つ。これを機にタンクや貨物に親しむ人が増えれば」と期待を寄せる。

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