射水神社社殿 民費で造営 保管文書 記述で判明

2020年9月15日 05時00分 (9月15日 10時30分更新)
公文類集で「民費」と記された部分を指し示す田中天美権禰宜=高岡市の射水神社で

公文類集で「民費」と記された部分を指し示す田中天美権禰宜=高岡市の射水神社で

  • 公文類集で「民費」と記された部分を指し示す田中天美権禰宜=高岡市の射水神社で

権禰宜「県民との絆 示している」


 射水神社(高岡市古城)は十四日、保管する文書「公文類集(こうぶんるいしゅう)」の調査で一八七五(明治八)年に二上山から高岡城跡に遷座し、一九〇〇年の高岡大火で焼失した社殿が官費ではなく、神社を崇敬する越中四郡の民費で造営されたとの記述を確認したと発表した。同神社は県内唯一の国幣中社(こくへいちゅうしゃ)に格付けされており、これまでは官費による造営と考えられていたが、神社を崇敬する民衆の寄進で立てられた社殿だったことが判明した。 (武田寛史)
 同神社は二〇二五年に執り行う遷座百五十年祭の記念として、社誌編纂(へんさん)事業の一環で公文類集を調査。大火で焼失した後に再建された現社殿の原図の中に「維新後今ノ地ニ移転シ、明治八年七月越中国四郡ノ民費ヲ以テ新築成ル」の記述を見つけた。射水、礪波(となみ)、婦負、新川の四郡の民衆の寄進による建築だったことが明記され、社殿再建を果たした当時の保科保(ほしなたもつ)宮司の確認印が証明している。
 大火後の社殿造営を、加賀前田家に仕えた初代松井角右衛門から始まった松井組の棟梁(とうりょう)だった五代松井角平が請け負ったことから、現在の松井建設(東京都)が社誌編纂事業の社殿調査を手掛け、今回の資料確認に協力した。
 調査した同神社の社宝管理担当・田中天美権禰宜(たかみつごんねぎ)(34)は「現存はしていないが、越中人の心意気、誇り、思いが込められた社殿だった。県民と射水神社の絆を示している記述。今後、寄進の金額が分かる記録が見つかることに期待」と話している。

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