<あいちの民話を訪ねて>(10)慈覚大師と不動明王像(阿久比町)

2020年9月13日 05時00分 (9月13日 05時00分更新) 会員限定
「お不動さん」の写真を手にする住職の神野さん。後方の赤いちょうちんの間、金色に見えるのがお不動さんの厨子=阿久比町椋岡で

「お不動さん」の写真を手にする住職の神野さん。後方の赤いちょうちんの間、金色に見えるのがお不動さんの厨子=阿久比町椋岡で

  • 「お不動さん」の写真を手にする住職の神野さん。後方の赤いちょうちんの間、金色に見えるのがお不動さんの厨子=阿久比町椋岡で
  • 秘仏とされる木造不動明王立像の全体写真。左下の文字が書かれた写真は、文永時代の修理を表す墨書を写したもの=阿久比町椋岡で
  • 鬼を埋めたと伝わる場所。こんもりとした土砂の山の上には、地蔵が見守るように立っている=阿久比町椋岡で
 慈覚大師が彫ったとされる「木造不動明王立像」は、今も平泉寺(阿久比町椋岡)の本尊としてまつられる秘仏。第八十八代住職、神野良英さん(49)は「普段はお厨子(ずし)の中。文化財調査の時くらいしか厨子を開けないので、私も二度しか見たことがない」と話す。
 神野さんの先々代は戦中、境内に掘った防空壕(ごう)にお不動さんを持ち込んだという。さらに終戦直後には、寺を訪ねてきた米軍関係者や通訳、古美術収集家から「寸分違わぬ仏像と千円(当時)を用意する。だからこの仏像を譲ってくれ」と頼まれたこともあった。「『寸分違わぬ』『断った』というおじいさんの言葉をよく覚えている」と神野さんは話してくれた。
 寺の資料によると、装飾を含む像高は一四二・八センチ。足柄には文永十一年に修理したとの墨書も残る。同年はモンゴル帝国などが日本を攻めた「元寇(げんこう)」で知られ、朝廷が国中の寺社に祈祷(きとう)を命じたとされる年。歴史との関連を感じさせる。
 ちなみに寺のすぐ南側には、鬼を埋めたと伝わる「角岡塚」も現存。義母亡き後、草取りや供花を世話する土井秀子さん(78)は...

中日新聞読者の方は、無料の会員登録で、この記事の続きが読めます。

※中日新聞読者には、中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井の定期読者が含まれます。

記者へのメッセージポストへの投稿はこちらから

関連キーワード

PR情報

愛知の最新ニュース

記事一覧