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岐阜出身のスケボーアジア王者 笹岡建介が東京五輪で魅力広める

2018年5月9日 11時00分

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高さのある空中技を得意とする笹岡=愛知県あま市のHi-5スケートパークで(伊東朋子撮影)

高さのある空中技を得意とする笹岡=愛知県あま市のHi-5スケートパークで(伊東朋子撮影)

 2020年東京五輪で正式競技となったスケートボード・パークのアジアチャンピオンが岐阜市にいる。笹岡建介(19)=BELLS=だ。中学2年でプロになり、高校を卒業した昨年からは競技に専念。愛知県あま市の「Hi-5スケートパーク」を練習拠点に、競技の本場・米国で武者修行しながら、海外の試合を転戦し、力を蓄えている。

得意技に磨きかけ

 おわん型のコースから空中に跳びだし、左手で板の前をつかみ回転する「バックサイドエア」が笹岡の得意技だ。演技冒頭に組み込む大技に磨きをかけている。スケートボードを囲む環境は厳しい。プロとは言っても、賞金の出る大会も少ない日本では競技で生計は立てられない。練習拠点の愛知県のスポーツ施設では子どもたちに指導をしているが、家族のサポートで競技を続けているのが現状だ。だからこそ、「五輪は競技の魅力を知ってもらう絶好の機会。家族への感謝もある」と五輪出場は大きな目標になった。
 競技に専念した直後の昨年4月、笹岡を苦難が襲った。国内の大会の公開練習で転倒。左肘を骨折、脱臼、靱帯(じんたい)損傷の大けがを負い、靱帯の移植手術を受けた。「左腕が伸びないと得意技ができない。医師には全治半年と言われたけど3カ月で早期復帰した」。昨年8月、シンガポールであったスポーツメーカーが新設した大会「VANSパークシリーズアジアンコンチネンタル」にどうしても出場したかったからだ。
 懸命のリハビリが実って、練習再開から2週間で優勝を勝ち取った。アジアチャンピオンの肩書は笹岡の追い風となった。岐阜県のオリンピックアスリート強化支援事業指定選手に選ばれたのだ。同県スポーツ科学センターで専門的なトレーニングができるようになった。強化支援で昨年11月末から3週間、米国へ練習に行くこともできた。
 笹岡は6歳で競技を始めた。父・賢治さん(48)が末っ子の笹岡ら3人の兄弟を連れてスノーボードを始め、オフシーズンの練習に取り入れたのがスケートボードだった。「2人の兄や友だちと一緒に滑るのが楽しかった。そのうちにみんなより高く、速く、うまくなりたいと思うようになった」。雪のない時期にもできるスケートボードの方に夢中になった。
 20日には新潟県で日本選手権がある。優勝すれば、今夏、インドネシアであるアジア大会に出場できる。「日本で勝つのは当たり前にならないと五輪出場は厳しい。優勝したい」。21歳という最良の時期に迎える東京五輪へ、着実に歩みを進める。 (伊東朋子)
 ▼笹岡建介(ささおか・けんすけ) 1999(平成11)年3月13日生まれ、岐阜市出身の19歳。152センチ、52キロ。長森南小-長森南中-華陽フロンティア高。6歳で競技を始める。関西アマチュアサーキット第1戦で準優勝、同第2戦で優勝した2012年、中学2年で日本スケートボード協会公認プロ権利を獲得。昨年8月、新設された大会でアジア1位に輝いた。夢は招待状が来ないと出場できない米国の最高位の大会「エックスゲームズ」にパークの日本人男子として初出場すること。
 ▼五輪競技のスケートボード 「パーク」と「ストリート」の2種目で、技の難易度、スピード、高さ、時間内の構成や独創性などを総合的に評価する採点競技。「パーク」は大きな皿や深いおわんをいくつも組み合わせたような、曲線的なくぼ地状のコースで行う。くぼ地の底から曲面を上昇、高速での空中浮遊や回転技が見どころ。「ストリート」は町中に存在する階段や縁石、手すりなどを模した直線的なコースを使う。障害物や段差を跳び越える際のバランスコントロールが難しいほど難易度が上がる。

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