「戦争になってもたんやで」 勝山102歳の元兵士・木下さん   

2020年9月10日 05時00分 (9月10日 09時42分更新)

 本紙「鯖江36連隊」連載を読んで 


 戦場体験や思い語る 

 

息子夫婦とともに戦場体験を振り返る木下さん(中)=勝山市内の自宅で

戦時中に日本陸軍の主力の一翼を担った鯖江歩兵第三六連隊を取り上げた本紙の連載(八月掲載)を読んで、一人の元兵士が連絡をくれた。勝山市元町一丁目の木下利蔵さん。中国、ベトナム、八丈島…。戦禍を生き抜いた百二歳の元兵士が、戦場体験を振り返りながら率直な思いを語った。 (藤共生)

中国上陸直後の木下さん

 徴兵検査に合格し、一九三九(昭和十四)年、二十歳で鯖江連隊の門をくぐった。四カ月間の初年兵教育を耐え抜くと、下士官候補にならないかと打診された。しかし断った。「兵隊(職業軍人)になるのが嫌だったんや」。周囲からは惜しまれ、上官にはひどく殴られた。
 初年兵教育の四カ月で鯖江を離れた。第二一師団第六二連隊の補充要員として中国北部に送り込まれた。二年後に部署変更を命じられた。司令部でのデスクワーク。事務が得意と見込まれたのか、上司は「木下を第一線に出すな」と言ってくれたという。
 司令部は一時期、フランス領のベトナム・ハノイにあった。昼はフランス料理店に通い「カウヒー(コーヒー)」を飲んだ。司令部には軍属の女性二人がいた。弁当をつくってもらったこともある。「恋心? それどころではなかった。でも大事にしてくれたよ」
 四二年に満期除隊となったが、四四年に二十五歳で再び臨時召集を受けた。配属先は敦賀連隊。初年兵の教育係を担当した。たった三カ月間の訓練だったため「あまり覚えていない」という。辛うじて覚えているのは自分が受けた初年兵教育と違い、ほとんど殴らなかったこと。初年兵たちはミャンマーに向かい、ほとんどが戦病死した。
 最後の任務は八丈島の防衛だった。南方戦線に投入されるはずが、制海権を握られ、向かえなかった。一年間、地下壕(ごう)を掘りに掘った。いつもひもじく、ヘビやカエルがごちそうだった。幸運にも戦闘はないまま終戦へ。故郷に帰った瞬間「これで平和な人生が送れる」と感じたことは今も忘れないという。
 戦争についてどう思うか、若い人に何か伝えたいことはあるか。しばし考え込んで「何とも言われん」と答えた。「戦争したくないと言ったって、戦争になってもたんやで。兵隊に行かない者はクズと言われた時代。戦争が続いていたら、本当に男はみんな戦場に行ったんや」
 何が戦争につながるのか
 木下さんは耳が遠くなり、息子夫婦の協力でなんとか聞き取りができた。戦争についての思いを尋ねた時だけ、唯一考え込んでいた。「戦争になってもたんやで」の言葉は重かった。
 木下さんが徴兵検査に合格した一九三八(昭和十三)年春、日本は日中戦争に突入していた。二十歳の青年には目の前に現実が迫るばかり。「時の流れや」。戦争にあらがいようのない時代に生まれた人の言葉だと思った。
 なぜ、あらがいようのない時代になったのかを考えることが大切だ。戦争はいけない、という単純な思いは皆同じ。もし今が戦前ならば、今の生活の何が戦争につながるのだろう。 (藤共生)

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