子どもの頃の本田宗一郎 遊びといたずら夢中

2020年9月10日 05時00分 (9月10日 05時00分更新)
宗一郎に関する資料やバイクなどが並ぶ「光明小学校 郷土・本田資料室」

宗一郎に関する資料やバイクなどが並ぶ「光明小学校 郷土・本田資料室」

  • 宗一郎に関する資料やバイクなどが並ぶ「光明小学校 郷土・本田資料室」
 自動車やオートバイ、航空機などで有名な本田技研工業創業者の本田宗一郎(1906~91年)は、光明村(今の浜松市天竜区山東)に生まれ、子どもの頃を過ごしました。
 好奇心に満ちあふれ、体を動かすことが好きだった宗一郎は、どんな子だったか問われると「遊びといたずらに夢中になっていた」と答えています。
 宗一郎は、鍛冶屋の父親が真っ赤に焼けた鉄を打つつちの音を、毎日、子守歌のように聞いて育ちました。
 初めて精米する機械を見た時は「エンジンって何?」「ベルトが回って重いきねを簡単に動かしている」と興味深く見つめ続けていたそうです。
 光明村に自動車が走った時はどこまでも追い掛け、ツンと鼻にくる排気ガスを「いい匂いだ」と嗅ぎ、着物も顔も真っ黒にしたそうです。
 浜松の街中で当地で初めて飛行機ショーがあると聞いた時は、20キロも遠くにある会場に行き、どうしても生で見たいと考えました。親が連れて行ってくれるはずもなく、家には大人用の自転車しかありません。それでも何とかしたいと思った宗一郎は、自転車のサドルに腰かけることができないため、三角乗りで何時間もペダルをこぎ続けて、飛行機を見に行きました。

◆偽造印叱られ「迷惑かけない」誓う

 成績が振るわず、親に通信簿を見せたくないと思った宗一郎は、自分で「本田」のはんこを作って押してしまいました。あまりにも上手にできていたため、学校の先生は見抜けませんでした。調子に乗った宗一郎が友達に話すと、「僕のも作ってくれ」と頼まれました。器用な宗一郎は、あっという間にみんなのはんこを作りましたが、先生や親からひどく叱られてしまいました。「本田」は左右対称で問題はなかったのですが、「佐藤」などの名前をそのまま彫ったため、押すと裏文字になってしまったのです。宗一郎は、人に迷惑を掛けることは二度としないと誓ったそうです。
 宗一郎が光明小学校の記念行事に贈った言葉の一部を紹介します。
 「実行には失敗がつきものです。失敗したら、なんで失敗したか、その原因をよく確かめること、つまり反省してみることが大切です。再び、同じ原因の失敗を繰り返すようでは、正しい反省をしていない証拠であり、また成功に通ずることもありません。皆さんは失敗を恐れず、勇気を出して試す人になってください」

<もっと知りたい人へ>
見学場所:浜松市立光明小学校 郷土・本田資料室(浜松市天竜区山東2550)見学は学校の事前許可が必要。
参考文献:児童向け「空飛ぶオートバイ 本田宗一郎物語」那須田稔

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