「特攻」のメカニズム(3) 帰還者の隔離棟<4> 加藤拓(読者センター)

2020年9月6日 05時00分 (9月6日 05時00分更新) 会員限定
見送りの司令官と参謀の前で別れの杯を交わす第6航空軍の特攻隊員ら=鹿児島県の知覧飛行場で(記録作家・林えいだい記念ありらん文庫資料室提供)

見送りの司令官と参謀の前で別れの杯を交わす第6航空軍の特攻隊員ら=鹿児島県の知覧飛行場で(記録作家・林えいだい記念ありらん文庫資料室提供)

  • 見送りの司令官と参謀の前で別れの杯を交わす第6航空軍の特攻隊員ら=鹿児島県の知覧飛行場で(記録作家・林えいだい記念ありらん文庫資料室提供)
 規律の厳格な旧日本軍では信じがたい出来事の真相を確かめようと、私は振武寮を描いた映画「月光の夏」(一九九三年)に登場する、司令部への突撃を同僚に持ちかけたという中尉への接触を試みた。
 モデルとなった人物は、山形県生まれの元中尉今井光さん(一九二三〜二〇〇九年)だった。航空士官学校出身で、部下の僚機を率いる立場の特攻隊長だった。仙台にいることがわかり、〇八年、思い切って手紙を書いた。しばらくしてかかってきた電話の主は、今井夫人。「実は、主人は病気で、意識がはっきりしない状態。とてもお話しできる状況でなく、すみません」「主人が元特攻隊長だったのは知っていた。写真も飾ってある」とのことだった。
 今井さんの飛行記録を調べると、四五年四月六日に部下と計六機六人で知覧(鹿児島県南九州市)を出撃し、途中の徳之島飛行場に一機だけ不時着していた。同じように特攻を果たせず、先に徳之島に不時着していた大貫健一郎さん(一九二一〜二〇一二年)は、今井さんが徳之島に不時着したときのことをよく覚えていて、私に当時のことをこう証言した。

汚名着せられた中尉

 「今井中尉は乗機の調子が悪いことを特攻できなかった理由に挙げ...

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