ヨゲンノトリは2種類? 国立公文書館に別の史料

2020年9月3日 05時00分 (9月3日 11時21分更新)
双頭の鳥について書かれた「安政雑記」=国立公文書館提供

双頭の鳥について書かれた「安政雑記」=国立公文書館提供

  • 双頭の鳥について書かれた「安政雑記」=国立公文書館提供
  • 「暴瀉病流行日記」=山梨県立博物館提供

山梨の日記とは頭の色に違い


 江戸時代末期、加賀国白山に現れ、疫病の流行を予言したという「双頭の鳥」。今春、新型コロナ禍の中、「ヨゲンノトリ」として話題になった山梨県立博物館の史料より、一年以上前に書かれた史料が国立公文書館(東京都)にあった。史料に描かれた鳥の絵は、前者は頭が白と黒なのに対し、後者はともに白という違いがある。双頭の鳥は二種類いた?(飯田克志)
 国立公文書館の史料は、江戸の街の様子などを記した「安政雑記」。十年ほど前の白山市教委による白山山頂遺跡に関する調査で、石川県立図書館史料編さん室の石田文一主幹(57)が“発見”していた。
 石田さんによると、安政雑記は、沼田藩(現群馬県沼田地方)の剣術指南役で、江戸にいたとみられる藤川整斎が執筆。双頭の鳥の記述は、加賀国白山に鳥が現れ「世の人九分死ぬ難あり」と語り、自分の姿を朝夕に見れば難を逃れられると告げたとする内容。鳥の話題が世間で流行していたと記してある。前後の記載内容から、一八五七(安政四)年六月ごろに書かれたようだ。
 山梨県立博物館が四月、「ヨゲンノトリ」と紹介したのは、甲斐国(かいのくに)市川村(現山梨県山梨市)の村役人が残した「暴瀉病(ぼうしゃびょう)流行日記」の一節。五八年八月に鳥の話題とともに絵も描かれていた。
 二つの史料の記述は似ているが、絵の方は頭の色が違うだけでなく、雑記はカラスのような細い体形を写実的に表現しているが、日記は丸みのあるイラストのような絵。鳥の出現時期も、日記は雑記に書かれた時期から半年後の五七年十二月と明記し、ずれがある。
 五八年には江戸などでコレラがまん延しており、石田さんは「流行前に江戸市中に鳥の風説が広がっていたとみられる」と指摘。絵などの差異は「江戸から甲斐国に伝わる間に、伝言ゲームのように変わったのでは」と推測している。

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