被爆の一ページ 継承 紙芝居 石川県内有志が復活

2020年8月31日 05時00分 (8月31日 10時04分更新)
焼け跡から見つかった母の遺体を焼く場面=CD「平和の子ら」制作委員会提供

焼け跡から見つかった母の遺体を焼く場面=CD「平和の子ら」制作委員会提供

  • 焼け跡から見つかった母の遺体を焼く場面=CD「平和の子ら」制作委員会提供
  • スクリーンに映し出された、岩佐さんの体験を伝える紙芝居=30日、金沢市富樫の教育プラザ富樫で

88年、金森俊朗さん授業で児童が手作り


 広島市で被爆した男性の体験を伝える紙芝居が、約三十年の時を超えて復活した。手掛けたのは、石川県に住む二十〜八十代の有志十人。被爆者の高齢化などで体験の継承が難しくなる中、金沢市内の児童が証言をもとに手作りした紙芝居をリニューアルし、次世代に語り継ぐ。(高橋雪花)
 「お母さん、ごめん」。三十日、金沢市内で初披露された紙芝居。しんとした会場で制作メンバーの声が響く。原爆で崩れた家の下敷きになった母を残し、逃げた少年のせりふだ。スクリーン上には、火の手が上がるがれきの前に立つ少年の絵。素朴さがかえって生々しい現実を突きつける。
 元の紙芝居は一九八八年、金沢市十一屋小学校で生まれた。「いのちの授業」で知られ、今年三月に亡くなった元小学校教諭金森俊朗さん=享年七十三=が授業に被爆者を招いた。石川県原爆被災者友の会(石川友の会)設立者の岩佐幹三(みきそう)さん(91)=千葉県在住=だった。
 急性原爆症で体中が痛んだこと、戦後に反核へ尽力したこと−。証言は二日間、五時間にわたった。証言をもとに児童たちが紙芝居を完成させた。翌年発表会を開いたが、再び披露されることはなかったという。
 それから約三十年。昨年、県民有志が金沢市内にある原爆犠牲者の追悼像「平和の子ら」にちなむCD制作に携わった。被爆者の思いを伝える活動を続けようと考える中、一人のメンバーが紙芝居の存在を思い出した。金森さんに話を持ち掛け、紙芝居を託された。
 「岩佐さんや子どもたちの思いをつなぎ紙芝居を復活させたい」。昨年十月から制作に取り掛かった。長尺だった紙芝居を短くし、せりふも講演録などをもとに練り直した。あらためて岩佐さんを訪ねたメンバーも。練習では意見が飛び交い、台本はメモで真っ赤になった。
 メンバーの一人で、広島市で被爆した石川友の会の西本多美子会長(79)は「新型コロナウイルスの影響で身動きがとれず、また高齢被爆者が亡くなっていく今、紙芝居ができたのは大きい」と語る。十一月には紙芝居を販売するという。
 メンバー最年少で石川県保険医協会事務局員の大田健志さん(28)は「被爆者と活動できる最後の世代である僕らが踏ん張り、証言を次世代に引き継げる方法を形にできたら、あとはつないでいってくれるはず」と期待する。
 紙芝居はこう締めくくられている。「戦いはまだ終わらない。世界中から核が消えるまで−」

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