<軍神はいま> (5)反戦願い遺品を託す

2020年8月31日 05時00分 (9月18日 15時30分更新) 会員限定
牧野三郎の墓参りをする明久=名古屋市西区稲生町の妙本寺で

牧野三郎の墓参りをする明久=名古屋市西区稲生町の妙本寺で

  • 牧野三郎の墓参りをする明久=名古屋市西区稲生町の妙本寺で
  • 和服姿で写真に納まる三郎(左)と節子。夫婦仲が良かったと伝わる=節子の親族、野口肇さん提供
 庄内川に近い名古屋市西区の法華宗妙本寺。「軍神」の文字が刻まれた墓が、境内の本堂脇にある。まつられているのは真珠湾で戦死した牧野三郎。愛知県の「郷土八烈士」などと銘打たれている。文面は三郎の母校、名古屋中学校長の大橋礼助が考えた。
 三郎の実家を継いだ甥(おい)、牧野明久(83)は今月十四日、例年通り墓参りに訪れた。夕刻でも気温は三六度を超え、一緒に来た長女の石田有里子(53)らの顔を、西日が照らしていた。
 有里子は自宅の仏間に飾られた三郎の肖像画や胸像を見て育った。明久から話を聞き、「すごい人だったんだなと思った。でも、戦争について深く考えたことがない」と本音を漏らす。
 この墓は三郎の妻・節子が多額の金を投じて建てた。その節子も戦後、再婚して神戸市に移り住み、二〇一一年八月十六日に他界した。晩年は認知症になり、三郎との思い出をつぶやくことが多かったという。
 戦後、明久は神奈川県在住の元整備兵から「牧野中佐にお世話になった。墓参りしたい」と手紙をもらったことはあった。しかし、今や三郎を覚えている人に会うことすらない。「三郎に思い入れがあるのは自分までかもしれない。いつか墓を守る人がいな...

中日新聞読者の方は、無料の会員登録で、この記事の続きが読めます。

※中日新聞読者には、中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井の定期読者が含まれます。

関連キーワード

PR情報

戦後75年の最新ニュース

記事一覧