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<あいちの民話を訪ねて>(8)秀吉と津島神社(津島市)

2020年8月30日 05時00分 (2月6日 22時09分更新)
豊臣秀吉が寄進したとされる津島神社の楼門=津島市神明町の津島神社で

豊臣秀吉が寄進したとされる津島神社の楼門=津島市神明町の津島神社で

  • 豊臣秀吉が寄進したとされる津島神社の楼門=津島市神明町の津島神社で
  • 江戸期の観光案内書「尾張名所図会」に描かれた、豊臣秀吉が盗っ人を捕らえた時の様子=津島市立図書館提供
 津島で盗っ人を捕らえたことが、豊臣秀吉と津島神社(津島市神明町)の縁を深めるきっかけになったのだろうか。境内には現在も秀吉とゆかりを持つ建造物が残る。
 均整のとれた美しい建築様式が特徴で、国の重要文化財に指定されている楼門は、秀吉の寄進と伝わる。一九四一年に解体修理された際は、内部から一五九一、九二年の墨書が発見され、秀吉が生存していた時代と建築年代が一致。信ぴょう性が高まった。南門は秀吉の病気平癒を願い、息子の秀頼によって九八年に寄進されたとされる。
 古文書によると、秀吉は大阪に拠点を移した後、津島神社を京都・伏見へ移転させる計画を立てていた。豪華なまきわら船を川に浮かべる祭礼「尾張津島天王祭」(現在)も、関西を流れる淀川で行おうとしていた。結局は神社関係者の反対もあり、移転を取りやめた。
 郷土史に詳しい津島市立図書館の園田俊介館長(43)は「織田家が津島神社を信仰していたので、それを引き継ぐ気持ちもあったと思うが、秀吉の信仰心はすさまじいものがあった」と語る。
 (深世古峻一)

秀吉と津島神社(津島市)
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