「特攻」のメカニズム(3) 帰還者の隔離棟<3> 加藤拓(読者センター)

2020年8月23日 05時00分 (8月23日 05時00分更新) 会員限定
特攻隊の編成表を手に当時を振り返る大貫健一郎さん=生前、神奈川県逗子市で

特攻隊の編成表を手に当時を振り返る大貫健一郎さん=生前、神奈川県逗子市で

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 乗機の故障などで敵艦への突入を果たせずに帰還した特攻隊員を収容した施設「振武寮」では、何があったのか。
 私がたどりついた生き証人は二人。そのうちの一人が、牧甫(はじめ)さん(一九二一〜二〇〇六年)だった。今から十五年前の二〇〇五年九月、福岡市西区の自宅に伺った。精神教育やときには暴行など、仕置き部屋のような状況があったことを確認する質問に対し、牧さんは「いろいろとつらい目にあった」と認めた。だが、否定せず大まかには認めながらも、具体的にどんなことがあったのか、についてはあまり積極的に話そうとはしなかった。代わりに牧さんの口から出たのはむしろ、ほのぼのとした思い出だった。
 「両親が訪ねてきてくれてね、振武寮の中で両親と面会したよ。歯科医師のところに行く、と言って女学生たちに会いにいったこともあったなあ」
 だが、後で考えると、努めて明るく振る舞おうとしていたのは、すでに人生の最晩年に至った牧さんが、つらい記憶を封じ込めたい、との思いからだったような気がする。
 取材の際、牧さんは私に新聞記事のコピーを手渡した。訪問の十二年前に西日本新聞の朝刊に掲載された連載「振武寮」(一九九三年八月十一〜...

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