「もし、また野球をやるとしても、リリーフがいい」 中日ひと筋で通算500登板、祖父江大輔のこれまでとこれから【独占手記】
2025年6月11日 23時26分
中日の祖父江大輔投手(37)が、11日の楽天戦(楽天モバイル)でプロ通算500試合登板を達成した。この日は4番手で登板し、3安打を許したが、1イニングを1失点にまとめた。球団の生え抜き選手の通算500試合登板は星野仙一、鈴木孝政、山本昌、岩瀬仁紀に続く5人目。ルーキーイヤーからロングリリーフなどで存在感を発揮して12年目で大台を突破した右腕が本紙に独占手記を寄せて、これまでの投手人生を振り返った。
26歳でプロ野球の世界に入りました。救援投手として12年。入団時の自分に「いまだに緊張するぞ」と言ってあげたいです。背番号33で、33歳までできればいいやと思っていたぐらい。ずっと自信がなく生きてきて、「今日いける」と思った日は一度もない。143試合ありますが、僕は毎日をトーナメントで戦っている感覚。1日を生き残る。このスタンスが変わったことはありません。
野球を始めたのは小学4年生。中学でシニアチームに入りましたが、夏にすぐ辞めました。体が小さくて、身長は学校のクラスでも一番前。硬式ボールが投げられなくて、バットも重くて振れなくて…諦めました。ただ、甲子園に行きたい思いがあった。愛知高で野球をやっていた父親と「とりあえず、愛知高校を目指して頑張るぞ」と、2人での練習が始まりました。実家のキャラメル工場の近くにある公園で毎日特訓。父親とやっていた土台が今も8割以上を占めていると思います。
高校では主に内野でしたが、投手をやりたいという思いがずっとありました。愛大入学直前のキャンプで直訴して、ブルペンで140キロが出た。そこからは伸び伸びと成長できて、4年生のときに11球団から調査書がきた。先発でいけると思っていたぐらいにてんぐでしたが、指名漏れ。トヨタ自動車でも2年でプロにいけると思っていたけど、だめ。4年目で指名されなかったら、野球を引退して、会社をやめることも考えていました。最後の最後にドラゴンズが指名してくれました。
トヨタに入って、野球への姿勢を正してくれたのが佐竹功年さん。僕はプロにいきたいという理由だけで入った。お金をもらって野球をやっている以上、チームのことを考えてほしいと言われました。本当に尊敬しています。大卒でプロになっていたら、1、2年でクビになっていたはず。即戦力でやらないといけないという立ち位置もよかったのかなと思います。
この12年間、ビハインド展開で投げることが多かった。打たれると2軍に落ちるという危機感との戦い。ブルペンで鳴る電話の音にビクッとします。唯一「やった!」と喜んだのは2020年11月5日のDeNA戦(ナゴヤドーム)。大野が7回まで投げて、僕がセーブを挙げました。大野が沢村賞を取れるんじゃないかというタイミングで頼むから投げたくないと(笑)。2点リードの9回に登板して抑えたときは本当にうれしかった。中継ぎは抑えて当たり前と思われる。今の若い子は良い投手ばかりなので僕ができるのは雰囲気づくり。昔は緊張してブルペンで一言もしゃべらなかったから、年を取ったなと感じます。
自分の武器は毎日投げられること。キャンプでもそれが当たり前だと教えられてきました。手術もないですし、肩が強かった。「どうしてけがしないの?」って言われると…。球が遅いからかな。みんなからは、手足が短いからだと言われます。最初はウソでしょって思っていたけど、最近はそうなのかなと思えてきたり。
ドラゴンズはみんな本当に仲が良くて、チームのことを思っている。勝ちがついてくれば、もっと明るいチームになります。僕の未来予想図は…。ありません。想像したら緊張する。ただ、引退するときは「やりきった!」と終わりたい。これからも毎日を一生懸命に頑張るだけ。もし、また野球をやるとしても、リリーフがいいです。(中日ドラゴンズ投手)
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