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<ものがたりモニュメント 中濃・可茂>(6) 郡上・高鷲の開拓記念碑 入植者の苦闘を後世に

2020年8月19日 05時00分 (8月19日 12時22分更新)
入植者の苦闘を伝える開拓記念碑。ここにはかつて、荒れ地と湿地が広がっていた=郡上市高鷲町ひるがので

入植者の苦闘を伝える開拓記念碑。ここにはかつて、荒れ地と湿地が広がっていた=郡上市高鷲町ひるがので

  • 入植者の苦闘を伝える開拓記念碑。ここにはかつて、荒れ地と湿地が広がっていた=郡上市高鷲町ひるがので
  • 清水肇さん
 標高千メートルの高原が広がる郡上市高鷲町ひるがの。国道156号わきの広場に、旧高鷲村が立てた「開拓記念碑」がある。高鷲では戦後間もない一九四六年、旧満州(中国東北部)から命がけで帰国した開拓団員や復員兵らによる大規模な開墾が始まり、二十年がかりで荒れ地を切り開いた。記念碑は「乳と蜜の流るゝ郷」を築くため、体ひとつで大自然に挑んだ入植者の苦闘を伝えている。
 高鷲開拓はひるがの、上野、切立の三地区計千百七十八ヘクタールが対象となった。約百世帯の入植者は四六年十一月に大日開拓団を結成。山下勘治団長(故人)は結団式で「この蛭ケ野(ひるがの)から一人も飢える者は出さない」と宣言したという。
 当時の地名が示す通り、...

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