麦飯長者 高塚村の正直者、30年間小判預かる

2020年8月20日 05時00分 (8月20日 05時00分更新)
麦飯長者跡の愛称標識と説明板

麦飯長者跡の愛称標識と説明板

  • 麦飯長者跡の愛称標識と説明板
 昔、昔の話です。
 高塚村(今の浜松市南区高塚町)に、馬に人や荷物をのせて運ぶ馬方の五郎兵衛が住んでいました。表裏がなく、どんな仕事にも誠実に取り組むため、「正直者の五郎兵衛」と呼ばれていました。
 ある日のことです。浜松の宿場から舞坂の宿場まで一人の和尚様を送り届けました。家に帰って馬から鞍を下ろすと、風呂敷包みがくくりつけられていました。中には、お経一巻と百両の小判が入っていました。
 「たっ、大変だ。これがなければ和尚様は旅を続けられない。何としてでもお返ししなくては」
 五郎兵衛は急いで舞坂の宿場まで馬を走らせましたが、和尚様はどこにも見つかりませんでした。その先の新居の宿場まで行っても駄目でした。
 風呂敷包みを預かった日から、五郎兵衛は仕事の合間を見つけては和尚様を捜し続けました。
 30年ほどたったある日のことです。多くのお供を従えた立派な和尚様が街道を通るのを見かけました。五郎兵衛が捜し続けた和尚様をやっと見つけることができたのです。
 五郎兵衛は30年の間、預かっていた風呂敷包みを返そうと、和尚様に声をかけました。
 「30年前にお使いいただいた馬方です。和尚様の大切なお荷物をお返しできず、申し訳ありませんでした。大変遅くなりましたがお納めください」
 和尚様は30年前の出来事を思い出すと、五郎兵衛に優しく話しかけました。
 「ご迷惑をおかけしたのは私の方です。私の不注意のせいで30年間もあなたを苦しめてしまいました。包みはすでに私の物ではありません。天から授けられた物だと思ってご自由にお使いください」
 五郎兵衛が何度包みを渡そうとしても、和尚様は受け取りませんでした。

◆天からの授かり物 旅人のために使う

 五郎兵衛は和尚様と別れた後、小判の使い道をどうしたものかと考えました。
 「今の自分があるのは馬方の仕事のおかげ。旅人のために使えば、和尚様もきっと喜んでくれるはず」
 五郎兵衛は街道を行き交う人々に湯茶で接待し、空腹の時には麦飯を食べてもらうことにしました。五郎兵衛は、いつしか麦飯を下さる長者様ということで「麦飯長者」と呼ばれるようになりました。
 五郎兵衛の子孫が住んでいた家は大正時代の末ごろまで残っていたそうです。今では「麦飯長者跡」の愛称標識と説明板のみが残されています。

<もっと知りたい人へ>
参考文献:「わが町文化誌 美しかる可き里」浜松市立可美公民館


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