阿弥陀橋と家康 川を前に迫る信玄 仏像が現れ橋に

2020年8月13日 05時00分 (8月13日 05時00分更新)
曳馬郷土史研究会が建てた石碑

曳馬郷土史研究会が建てた石碑

  • 曳馬郷土史研究会が建てた石碑
 三方ケ原の戦いで武田信玄の大軍に負けてしまった徳川家康は、合戦場から命からがら抜け出しました。馬に乗った家康は、数人の家来とともに、曳馬の村(今の浜松市中区曳馬の辺り)にたどり着きました。目の前に流れる川を越せば、一安心です。
 「この川を渡れば、もうすぐ城だ。何とか生き延びることができそうだ」
 家康は、何度か通ったことのある橋を目指して急ぎました。いざ橋を渡ろうとしたものの、朝まではあったはずの橋がどこにも見当たりません。信玄軍が橋を焼き払ってしまったのです。
 「橋さえあれば助かるのに、どうにもあきらめ切れない。無念だ」
 家康は地団駄を踏み、天を仰ぎました。どうしたものかと考えていると、迫って来る信玄軍に気付きました。
 「殿様、敵がすぐ近くに」
 家康は、家来に向かって「もはやこれまで。覚悟を決めるしかないか」と話しだした時です。近くにある常楽寺に祭られていた阿弥陀様が土手を上ってきました。
 「阿弥陀様がお見えだ」「これは吉兆に違いない」
 阿弥陀様は、家康にほほ笑みかけると、川のこちらの岸から向こうの岸に、自分の体を横たえました。
 「阿弥陀様が倒れられた」「いやいや、阿弥陀様が橋になってくれたのだ。ありがたい」
 「畏れ多いが、阿弥陀様の橋を渡らせてもらえば、向こう岸に行ける」
 家康と家来は阿弥陀様の橋を渡り、無事に城へ帰ることができました。

◆馬のひづめの跡 背中にくっきり

 家康が渡るのを見届けた阿弥陀様は、信玄軍が着く前に寺に戻りました。阿弥陀様の背中には、家康の乗った馬のひづめの跡がくっきりと残っていたと伝えられています。
 後日、家康は阿弥陀様が橋になってくれた場所に「阿弥陀橋」と名付けた橋を架けたそうです。
 江戸時代の古地図には「阿弥陀橋」が書かれているものの、長い年月を経て橋がどこにあったのか分からなくなってしまいました。
 今では、昭和の時代になって曳馬郷土史研究会が阿弥陀橋の伝説について調査して建てた「史蹟 阿弥陀橋之跡」の石碑(浜松市中区高林5丁目)を見ることができます。

<もっと知りたい人へ>
参考文献:「遠江39号」浜松史蹟調査顕彰会
見学場所:浜松市中区高林5の4の8の交差点


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