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戦後せんご75年】なるほど!取材しゅざいノート<白黒写真しろくろしゃしんのカラー>8月15日

2020年8月15日 05時10分 (11月25日 16時26分更新)

1932年ごろに撮影された、高橋久さん(91)(スイカの皮を被っている右から5人目の子ども)と家族や親戚の団らんの様子。右端の女性が母親。原爆で両親と弟を亡くした高橋さんにこの写真を保管していた親戚が渡しました=高橋さん提供

 第2次世界大戦だいにじせかいたいせん前後ぜんご撮影さつえいされた白黒写真がカラー写真に変身へんしん! 人工じんこう知能ちのうAIエーアイ)の技術ぎじゅつ使つかってカラー化し、当時とうじひとからのりや資料しりょうをもとに修正しゅうせいして当時のいろちかづけていく「記憶きおく解凍かいとうプロジェクト」というこころみです。それらの写真355まい掲載けいさいしたほん「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前せんぜん戦争せんそう」(光文社こうぶんしゃ新書しんしょ)が7月に出版しゅっぱんされました。
 8月15日の中日ちゅうにちどもウイークリーの2めんで、本を出版した東京とうきょうだい1年の庭田杏珠にわたあんじゅさん(18)と東京大とうきょうだい大学院だいがくいん情報じょうほうがくかん教授きょうじゅ渡邉英徳わたなべひでのりさん(45)の取りみやおもいをまとめました。くわしくは紙面しめんをごらんください。
 こちらのウェブページでは、紙面で紹介しょうかいした写真のほか、せられなかった写真も掲載しました。カラーともとの白黒写真を見比みくらべて、家族かぞくで戦争や平和へいわについてかんがえたりはなったりするきっかけにしてくださいね。



長寿園ちょうじゅえんのお花見はなみ

濱井德三さん(86)の家族が広島市の桜の名所「長寿園」でお花見をしている様子。1935年の春に撮影されました。濱井さんは原爆で家族全員を亡くしました=濱井さん提供



広島ひろしまけん産業さんぎょう奨励しょうれいかんまえあそ兄弟きょうだい

1939年に広島県産業奨励館(今の原爆ドーム)の前で撮影された写真。左端に写っている片山曻さん(88)はカラー化した写真を見て「戦争に向けて暗くなっている世相を感じて寂しそうな顔をしている」と話したそうです=片山さん提供



真珠湾しんじゅわん攻撃こうげき

1941年12月7日(現地時間)、真珠湾攻撃。爆発炎上する駆逐艦「ショー」=渡邉さん提供



特攻隊とっこうたいいん見送みおく女学生じょがくせい

1945年4月12日、知覧飛行場で特攻(体当たり攻撃)に向かう戦闘機のパイロットを見送る知覧高等女学校の生徒たち=渡邉さん提供



名古屋なごや空襲くうしゅう

1945年5月14日の名古屋空襲。338人が亡くなり、家や建物2万1905棟が被災しました。名古屋城も焼失しました=渡邉さん提供



子犬こいぬく特攻隊員

1945年5月26日 鹿児島の万世飛行場で子犬を抱く特攻隊員たち。彼らは翌日出撃して戦死しました=渡邉さん提供



沖縄おきなわせん

1945年6月3日 沖縄戦で上陸したアメリカ軍によって集められた伊平屋島の住民たち=渡邉さん提供



広島の原爆げんばく

1945年8月6日に広島県呉市で撮影された原爆の「きのこ雲」=渡邉さん提供



広島の原爆から1年風景ふうけい

1946年8月5日に撮影された写真。焼け野原が残る広島市街地でデパートの屋上から南東方向を望むカップル=共同通信社提供



終戦しゅうせんから1年後の上野うえのえき

1946年8月15日 東京・上野駅の構内で眠る人々。「LIFE」誌のカメラマン、John Floreaが撮影=渡邉さん提供


編集へんしゅう後記こうき


 白黒写真がカラーになると、まるで最近さいきん撮影された写真のように思えます。しあわせな家族写真。戦争はたくさんの家族からその幸せをうばいました。うしなわれたいのちもどってません。終戦から75年がち、戦争を体験たいけんした人たちがくなっていくなかで、わたしたちができるのは、戦争でなにがあったのか知り、二度にどと戦争をしないことだと思います。
 庭田さんは「まわりの人と本をかこんでてほしい」と話していました。自身じしんも本の出版をきっかけにはじめて祖父そふから原爆がとされた日の話を聞いたそうです。「やまが『ピカッ』とひかって、『ドーンッ』というおとがした。時間じかんがたった後にまちほうから大やけどをした人がやってきた」
 みなさんも自分じぶんの周りに戦争について聞ける人がいたら聞いてみてください。庭田さんは「戦争を自分事じぶんごととしてかんじた人がその思いを周りにつたえる。それによってすこしずつ戦争やあらそいのないの中をつくっていけるのではないかと思う」という未来みらいへの希望きぼうも話してくれました。
 取材をきっかけにして私も祖母そぼから戦時せんじ中の白黒写真をLINEでおくってもらいました。ニューギニアの戦地せんちにいた祖母のちちに、祖母が小学校しょうがっこう入学にゅうがくしたことを知らせるための写真の予備よびです。父は戦死せんししてかえってきませんでした。おさなかった祖母はどれほど父にいたかっただろうか。私も戦争がより自分事になりました。(垣見窓佳かきみまどか

なるほど!取材しゅざいノートとは? 
 中日こどもウイークリーの2面のコーナー。話題わだいのニュースを、ウイークリーのメインキャラクター「まなぶぅ」のぱぱが取材しています。ぱぱは、しんぶぅん記者きしゃでもあります。今回こんかいぱぱと一緒いっしょに取材したのは編集室の垣見記者。ウェブページの編集後記も担当たんとうしました。


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