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進む老朽化、遠のく記憶 大台の三重日輪兵舎

2020年8月11日 05時00分 (9月18日 12時21分更新)
満蒙開拓団の暮らしを伝える三重日輪兵舎。もともと入り口と窓は開放されている=大台町弥起井で

満蒙開拓団の暮らしを伝える三重日輪兵舎。もともと入り口と窓は開放されている=大台町弥起井で

  • 満蒙開拓団の暮らしを伝える三重日輪兵舎。もともと入り口と窓は開放されている=大台町弥起井で
  • 剥がれた天井と氏名が消えかけている開拓団員の名簿=大台町弥起井で
 大台町にある満蒙(まんもう)開拓団の資料館「三重日輪兵舎」の老朽化が進んでいる。戦時中に旧満州(現中国東北部)へ渡り、戦後の混乱期に多数の犠牲者を出した苦難の歴史を伝えようと建てられたが、四十七年の月日がたって傷みが激しい。元開拓団員は「当時を知る人がどんどん亡くなっている。せめて施設は残してほしい」と話す。 (清水悠莉子)
 三瀬谷ダム近くの公園の隅に、円形の建物がひっそりとたたずんでいる。中央のガラスケースに開拓団員らが現地で着ていた衣服や農具が飾られ、上部の壁には手書きの団員の氏名がずらりと並ぶ。内部は薄暗く、団員の氏名が消えかけている。天井や壁は数カ所が剥がれ、今にも崩れそうなほど。園内の少し離れた場所にある団員の慰霊碑とも様相が異なる。
 三重日輪兵舎は、県出身の元満蒙開拓青少年義勇隊員らが一九七三(昭和四十八)年に建てた。十代の若者らが旧満州へ渡る前に過ごした茨城県の内原訓練所の兵舎を再現している。元団員や家族らが思いをはせ、故郷へ帰れなかった犠牲者を悼む慰霊祭や追悼式も七七年から開かれていた。
 式典は九九(平成十一)年を最後に開かれなくなり、元団員や遺族の高齢化などを受け、...

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