原爆孤児、75歳の決意 「若者に伝えたい」自分史つづる

2020年8月10日 05時00分 (8月10日 05時01分更新) 会員限定
「自分史」を書いた原稿用紙を手に被爆後の人生を語る山川福美さん=名古屋市港区で

「自分史」を書いた原稿用紙を手に被爆後の人生を語る山川福美さん=名古屋市港区で

  • 「自分史」を書いた原稿用紙を手に被爆後の人生を語る山川福美さん=名古屋市港区で
 生後四カ月で長崎で被爆し、「原爆孤児」として生きてきた名古屋市港区の山川福美さん(75)が、被爆者として歩んだ自身の体験を「自分史」として執筆し続けている。「これからは自分の経験を後世に伝えていきたい。戦争も被爆者も、絶対に生み出してはいかん」。九日の原爆忌に訪れた長崎で、決意を新たにした。 (大野雄一郎)
 原爆投下時刻の午前十一時二分。山川さんは、平和祈念式典が行われた長崎市の平和公園を訪れ、黙とうをささげた。周辺には、中高生ら若者たちの姿。「こういう子どもたちにこそ伝えないと。自分が死んだら、語る人がいなくなってしまう」。祈りながら、心の中で誓った。
 山川さんの父福一さんは原爆投下前に亡くなり、母チクさんは原爆で死亡。山川さんは原爆孤児として長崎の児童養護施設に入り、三歳で叔母夫婦の養子になった。両親の顔や声は記憶にない。
 引き取ってくれた養父は元軍人でしつけが厳しく、毎日のように殴られて育った。生い立ちを尋ねようにも「余計なことを聞くとビンタされる」。小学生の時に髪の毛が抜け、自分が被爆者であることを悟った。
 養父母の家に居づらくなり、十六歳の時に家出。福岡県内の駅のベンチで横...

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