「特攻」のメカニズム(3) 帰還者の隔離棟<1> 加藤拓(読者センター)
2020年8月9日 05時00分 (8月9日 05時01分更新)
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「モリカケ」から「桜」に至るここ最近の公文書の扱いをめぐる状況は、軍によって記録文書の多くが焼失し、検証が不十分なまま今日に至る昭和の戦争の流れをくんでいるようにも見えて、怖いとさえ感じる。
若者が国を守るために命をささげる美談として長く、伝えられてきた特攻も、それが「命令」だったのか「志願」だったのかを公文書で特定することさえできない。真実の姿が隠ぺいされた特攻の、まさに陰の部分を象徴するのが「振武寮」(福岡市)だった。
振武寮は、知覧(現鹿児島県南九州市)などから出撃後、機体の不調や悪天候で帰還した陸軍の特攻隊員たちが閉じ込められていた宿舎。その存在は戦後も長い間広く知られることはなかった。志願した若者たちが勇ましく散っていく特攻のイメージと懸け離れた実態から目を背ける空気を、戦後も引きずっていたのかもしれない。
自陣への突撃を懇願
帰還した隊員への上官の虐待の数々。その一方で、腹に据えかねた隊員の怒りも充満した。それが暴発しかけた場面が、特攻隊を描いた映画「月光の夏」(一九九三年)にある。振武寮であった実話だ。
中尉「明日、雁ノ巣(福岡市にあった陸軍の飛行場)を離陸したら、司令部...
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