銀閣寺の計画地を記載した「禅林寺文書」公開 名古屋市博物館 

2020年8月8日 16時00分 (8月8日 16時00分更新) 会員限定
銀閣寺の当初計画地などについて記された「禅林寺文書」=名古屋市瑞穂区の名古屋市博物館で

銀閣寺の当初計画地などについて記された「禅林寺文書」=名古屋市瑞穂区の名古屋市博物館で

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 室町幕府八代将軍・足利義政が建立した銀閣寺(慈照寺)の、当初計画地を記した古文書「禅林寺文書」が、名古屋市瑞穂区の市博物館で開催中の展覧会「おまたせ!再会博物館」で展示されている。
 銀閣寺はもともと南禅寺(京都市左京区)の子院「恵雲(えうん)院」に建てられる予定だった。恵雲院は戦国時代に消滅し、場所は長らく不明となっていた。
 文書には禅林寺(同区)の住持だった智空甫叔(ちくうほしゅく)が、恵雲院の跡地の耕作権を買ったという証書「売券」が残っていた。土地の境界が具体的な地名で書かれており、今年三月、大阪大谷大(大阪府富田林市)の調査で正確な場所が分かった。
 文書は一九七八年、愛知県刈谷市の個人収集家が博物館に寄贈。禅林寺の財産に関わる、安土桃山時代から江戸時代初期までの十三通がまとめられている。土地のほか、庶民のために設けられた風呂場を売買したという証書もあり、当時の寺院の経営実態が垣間見える。
 担当する岡村弘子学芸員は「銀閣寺に関する記述だけでなく、激動の時代を生き抜こうとした寺社の姿も伝える貴重な資料」と話す。文書の公開は八月三十日まで。
 (宮崎正嗣)

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