勝山館跡で多数出土

2020年8月8日 05時00分 (8月8日 12時33分更新)
国史跡の勝山館跡。15世紀後半、上ノ国町を流れる天の川左岸、標高100メートルの丘陵に築かれた=北海道上ノ国町で

国史跡の勝山館跡。15世紀後半、上ノ国町を流れる天の川左岸、標高100メートルの丘陵に築かれた=北海道上ノ国町で

  • 国史跡の勝山館跡。15世紀後半、上ノ国町を流れる天の川左岸、標高100メートルの丘陵に築かれた=北海道上ノ国町で
  • 笏谷石製の石廟が立ち並ぶ松前家墓所=北海道松前町の法幢寺で

笏谷石は西へ東へ・北海道


 私の住んでいる北海道上(かみ)ノ国町(くにちょう)では、「越前」や「若狭」など福井県にちなんだ地名、名字を日常生活の中でよく見聞きします。そして、福井県の石文化を代表する笏谷石(しゃくだにいし)は、社寺や古民家でも何げなく目にすることができるほど、地域に溶け込んだ身近な存在です。
 北海道では、北前船の航路や寄港地を中心に三百点以上の笏谷石製品がみられます。製品の種別は少ないものの、遺跡からの出土品は室町時代の火鉢や茶臼、江戸時代以降の伝世資料は石廟(びょう)、五輪塔、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、無縫塔、多層塔、唐破風(からはふ)屋根付墓標、狛犬(こまいぬ)、石仏、灯籠、建物の土台石などが確認できました。
 道内で最も多くの笏谷石製品が発掘されたのは、上ノ国町の勝山館跡(かつやまだてあと)という戦国時代の山城です。勝山館跡は、松前藩祖の武田信広が築城した北方日本海交易の一大拠点でした。笏谷石とともに、約一万点もの越前焼が出土しています。そのため、室町時代から既に北海道と福井県との間には、日本海を通じた太い物流のパイプが存在したことが分かります。
 武田信広の子・光広は永正十一(一五一四)年、上ノ国から松前に本拠地を移転しますが、交易の窓口は上ノ国に残されていました。しかし、慶長九(一六〇四)年に徳川家康から松前藩主に任じられた五代・慶広は、北海道における独占的な交易権を認められ、上ノ国に代わって松前が北方日本海交易、主要な拠点となります。
 松前には、北海道の笏谷石製品の八割を超える伝世資料が残されており、江戸時代の交易拠点であった歴史を雄弁に物語ってくれます。特に、法幢寺(ほうどうじ)の松前家墓所(松前町)は、笏谷石製の石廟などが連立し、あたかも福井県にいるような感覚に襲われる場所です。十七世紀代の石廟や墓碑などは松前に集中していますが十八世紀以降になると狛犬や石仏、建物の土台石などが松前以外の広い範囲にも確認できるようになります。
 その大きな理由は、松前藩の交易スタイルが「場所請負制度」へ変更したことです。この制度は、交易を商人にまかせてしまい、交易拠点を知行した松前藩家臣が運上金を受け取るものです。その結果、北前船の商人は北海道のより奥地にまで入り込むことが可能になり、笏谷石分布の拡大につながったと考えられます。
 福井から約七百キロも離れている北海道ですが、そこには笏谷石を通じた盛んな交流の歴史がありました。まだまだ明らかになってない部分も多いのですが、笏谷石が分布する北海道の人たちは、この青い石のおかげで現代においても福井という地域にその距離と相反した親しみを感じているのではないでしょうか。 (上ノ国町教育委員会文化財グループ主幹・塚田直哉)
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 次回は九月十二日に、青森県を紹介します。

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