【石川】遺骨捜せない 悔しい 七尾港の中国人強制連行

2020年8月8日 05時00分 (8月8日 09時57分更新)
新型コロナウイルスの影響で七尾港の中国人強制連行の調査に影響が出ていることを憂う角三外弘さん=石川県七尾市本府中町で

新型コロナウイルスの影響で七尾港の中国人強制連行の調査に影響が出ていることを憂う角三外弘さん=石川県七尾市本府中町で

  • 新型コロナウイルスの影響で七尾港の中国人強制連行の調査に影響が出ていることを憂う角三外弘さん=石川県七尾市本府中町で
  • 七尾港での労働で死去した中国人の遺骨の埋葬場所とみられる土地=中国・天津市北郊で(角三さん提供)

実態調査の元教員 渡航できず


 コロナ禍で、太平洋戦争末期に石川県七尾市の七尾港に強制連行され過酷な労働を強いられた中国人労働者の実態を調べてきた元教員の角三(かくみ)外弘さん(74)=同市本府中町=が、焦りを募らせている。亡くなった人たちの遺骨の行方を捜そうと九月の訪中を計画していたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で渡航の見通しが立たないため。角三さんは「自分も年を取り時間は限られている。活動を邪魔されて悔しい」と唇をかむ。(中川紘希)
 角三さんは、一九九五年に仲間の慰霊で七尾を訪れた元作業員の馬得志(バトクシ)さんと出会い、有志の支援活動に参加した。これまで中国を十五回ほど訪れ、生存者らへの聞き取りなどを実施。元作業員らが国などを相手に損害賠償を求めた裁判闘争にも協力した。
 当時中国人を管理していた七尾華工管理事務所の報告書などによると、七尾での死者は十五人。遺骨は戦後、生存者とともに中国・天津市に送られ、日本各地での死者とともに同市北郊に埋葬されたとみられる。
 角三さんは埋葬場所を確定させようと、これまでに現地の博物館や資料館で遺骨名簿を確認。そこには十二人の名前だけが記され、残る三人の行方が分からなかった。死者数百人の名前が刻まれた二つの墓碑も見つかったが、名簿に記された十二人のうち四人の名前がなかった。
 角三さんは今年九月に同じ施設を訪れ、これらの遺骨に関する手掛かりを探すつもりだった。「過酷な労働をさせた日本側として、亡くなった人の眠る場所を明らかにするのは当然の責任」と自らの覚悟を語る。
 すでに七尾港に連行された中国人のほとんどが亡くなり、遺族との連絡も取りにくくなっている。予定した訪中時の日程には強制連行された中国人の追悼集会もあり、七尾の関係者とも会える可能性があった。だが新型コロナの影響で開催が難しくなった可能性があり、現在までに招待の連絡はないという。仮に開催されても、感染防止のため入国制限が解除される見通しは立たず、参列は難しい状況だ。「両国で歴史の風化が進んでいる。次世代に歴史をつなぐため交流の窓口となる人を見つけたかったが…」と悔しがる。
 現時点では新型コロナの感染状況をにらみながら、来年以降に訪中を延期する考え。感染拡大が続く場合、これまでの調査結果を頼りに遺族らに手紙を送り、交流を図るつもりだ。「希望を持ちにくい状況だけど最後に諦めるわけにはいかない」と決意を新たにする。

【メモ】七尾港への中国人強制連行=太平洋戦争末期に中国人399人が七尾港へ連行された。荷役業者らの管理下で、港湾の荷役業務など重労働を強いられ栄養不足や過労で死者や失明者が相次いだ。元作業員と遺族らは2005年、国と企業に損害賠償などを求め金沢地裁に提訴。地裁は強制連行と労働の事実は認めたが、別の裁判で最高裁が「日中共同声明で中国人個人の請求権は放棄された」と判断したことを踏襲し、請求を棄却。高裁も支持し、10年に最高裁が上告を退けた。当時の政府の方針で全国では約4万人の中国人が強制連行されたとされる。


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