模擬原爆「パンプキン」全国49発 見えてきた米の真意

2020年8月6日 05時00分 (8月6日 05時01分更新) 会員限定
テニアン島の飛行場に置かれたパンプキン=米国立公文書館所蔵、工藤洋三・金子力著「原爆投下部隊」から

テニアン島の飛行場に置かれたパンプキン=米国立公文書館所蔵、工藤洋三・金子力著「原爆投下部隊」から

  • テニアン島の飛行場に置かれたパンプキン=米国立公文書館所蔵、工藤洋三・金子力著「原爆投下部隊」から
  • 1945年7月20日にパンプキンが投下された東京駅付近。右下の八重洲橋と、その上の呉服橋の中間の堀に落ちた=米国立公文書館所蔵、工藤洋三・金子力著「原爆投下部隊」から
  • パンプキンが投下された東京駅八重洲口の旧外堀付近。現在は外堀通りとなり、当時の面影はない=東京都中央区で
 七十五年前、原爆投下訓練のために作られた米軍の模擬原爆が東京駅前に投下された。長崎原爆を模した外観で、全国で四百人以上が犠牲になった「パンプキン」と呼ばれる大型爆弾の一つだ。焼夷(しょうい)弾による空襲で焼け野原になり、原爆の投下目標から除外された東京に、なぜ落とされたのか。近年の研究で明らかになった模擬原爆作戦の実相とは。(中山岳、古川雅和)

東京駅前に投下

 東京駅八重洲口前(東京都中央区)の外堀通り。道路に沿って高層ビルが立ち並び、会社員らが横断歩道を行き交う。戦時中にこの場所にあった堀は埋められ、七十五年前の爆撃の痕跡はどこにもない。
 一九四五年七月二十日午前八時二十二分ごろ、この地域の呉服橋と八重洲橋の中間に位置する堀に、一発の爆弾が落ちた。
 原爆投下訓練用に開発された「パンプキン」。カボチャのようなずんぐりした形をしており、プルトニウム型の長崎原爆「ファットマン」と同サイズだ。高性能爆薬を詰められ、重量は約四・五トンもある。着弾すれば付近の建物は吹き飛び、クレーターができるほどの破壊力があった。
 パンプキン投下地点近くの東京駅ホームで、爆撃を目撃した当時十七歳の吉野光男さん(...

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