磐田・国分寺の薬師如来像 戦国時代に造立

2020年8月4日 05時00分 (8月4日 05時03分更新)
国分寺の薬師如来像=磐田市で

国分寺の薬師如来像=磐田市で

  • 国分寺の薬師如来像=磐田市で
  • 遺跡から出土した弥生時代の遺物=磐田市中央図書館で
 磐田市見付の国分寺にある薬師如来像の造立が、一五〇九〜一五三〇年であることが、市文化財課が依頼した分析機関の調査で分かった。造立期間中の一五二二年には、戦国時代の武将の今川義元(一五一九〜一五六〇年)の遠い親戚筋で当時、この地を治めていた堀越(源)氏延(生没不祥)が、国分寺に鰐口(わにぐち)(県指定文化財)を寄進していることから、関係者は「国分寺の歴史を伝える重要な資料になるのではないか」と関心を寄せる。 (宮沢輝明)
 薬師如来像は高さ約一メートルでヒノキ製。おなかの前で組んだ両手は大きな薬壺を持っている。薬師如来像の写真などは、市中央図書館で始まった企画展「弥生時代へGO!」で掲示されている。
 造立当時の遠江は今川家の本家筋と分家筋がせめぎ合い、統治者の入れ替わりが多かった時代。支配力を強めるのは、城を築いたり、寺院に寄進したりする手法がとられ、為政者にとって宗教を取り込むのは重要なことだった。氏延は支配力を強めようとし、鰐口を寄進したとされている。
 市文化財保護審議会委員の加藤理文さん(62)は「薬師如来像も、影響力をさらに及ぼそうという意図で寄進したのではないか」と推測する。寺院側にも、権力者に守ってもらえるメリットがあるという。
 像の実物は現在、修復中で終わり次第、公開が予定されている。
 企画展では、市内の弥生時代の遺跡から出土した木製農具や青銅製の腕輪、やじりなど百五十点が並ぶ。三十日まで(十、十七、二十四日休館)。

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