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石動山 盛衰ひもとく 中能登 明治−昭和の生活記録や写真展示

2022年1月6日 05時00分 (1月6日 10時02分更新)
大正や昭和時代の石動山内で生活する人々の写真を見る関係者=中能登町一青のふるさと創修館で

大正や昭和時代の石動山内で生活する人々の写真を見る関係者=中能登町一青のふるさと創修館で

  • 大正や昭和時代の石動山内で生活する人々の写真を見る関係者=中能登町一青のふるさと創修館で
  • 明治時代に石動山の再興を願って作られた「能登国石動山全図」などを並べた展示=中能登町一青のふるさと創修館で

学芸員「再興挑戦の歴史分かる」

 中能登町の国史跡石動山の盛衰の歴史を人々の生活記録や写真からひもとく企画展「大正・昭和の石動山 写真から見る過ぎ去りし記憶」が、中能登町一青(ひとと)のふるさと創修館で三十一日まで開かれている。 (大野沙羅)
 石動山は古代より山岳信仰の霊山として栄え、最盛期には三百六十寺、三千人の宗徒がいたと伝わる。だが、明治時代に神仏分離の政策や仏教を廃止する風潮が高まり、五十八坊のうち四十一坊の僧が改名して石動山の神職に。彼らは山内の樹木を伐採して開墾地を新たな生活の基盤とした。その後、木炭生産や県有林事業などを経て、近代以降は元僧侶や、開拓などを目的に加賀や能登、越中からの移住者が生活。一八八三年に二百十四人いた住民は、一九八〇年には二十人に減少した。
 企画展では、一八九七年に印刷された石動山の境内図「能登国石動山全図」やその翌年に作られた石動山の略景などを展示。神仏分離令が出ても僧であり続けた真蔵院の長谷覚円が再興を願った山の図で、果たされなかった夢が描かれている。
 大正−昭和末ごろまで石動山で過ごしていた住民や山頂付近にある伊須流岐比古(いするぎひこ)神社拝殿などを写した十点以上の写真も展示。現在とは異なる神社や山を見ることができる。学芸員の道下勝太さんは「石動山を再興しようとした歴史やなりわいが分かる」と、現在と見比べてほしいと話した。
 入場無料。午前九時〜午後五時。火曜、祝日は休館。

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