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柳田シャコデ廃寺は大規模寺院 羽咋 南門と西門の遺構見つかる

2021年11月21日 05時00分 (11月21日 12時03分更新)
本年度の調査で見つかった南門跡。右側の4人が立っている場所が柱穴跡、横に鉄板を敷いてあるのが通路部分=羽咋市柳田町で

本年度の調査で見つかった南門跡。右側の4人が立っている場所が柱穴跡、横に鉄板を敷いてあるのが通路部分=羽咋市柳田町で

  • 本年度の調査で見つかった南門跡。右側の4人が立っている場所が柱穴跡、横に鉄板を敷いてあるのが通路部分=羽咋市柳田町で
  • 本年度の調査で見つかった西門跡。西門の発見で寺の大きさが明らかになった=羽咋市柳田町で

平安時代後期建造も判明

 羽咋市柳田町の柳田シャコデ廃寺跡の本年度発掘調査で、南門と西門の遺構が見つかり、東西九十六メートル、南北七十八メートルの大規模寺院だったことが分かった。柱穴から出土した土器から平安時代後期(十、十一世紀)に建てられたことも判明。過去に見つかった、塔の中心柱の礎石「心礎石」から奈良時代(八、九世紀)の古代寺院とされてきた説は可能性が低くなった。(松村裕子)
 南門は以前に確認された南回廊上で東西回廊の中央付近に位置。幅七メートル、奥行き三・七メートル。四本の柱が二列に並び、柱の直径は約六十センチで大きく、通行する中央部は柱の間隔が広く、正門とみられる。西門は西回廊上に南回廊から北へ三十余メートルで、南門と同様の構造で見つかった。西門は通常、南北回廊の中間にあり、南北の範囲が推測できた。
 柱穴から平安後期の土器が出土し、門や回廊が平安後期に建てられたと判明。一九二九年に近くの善正寺に移された心礎石は、白鳳期(七世紀末)に県内にあった他寺と同じ技術で作られ、これまで奈良期にあった寺とされてきた。奈良期の土器は出土せず、心礎石は他所から運んで転用した可能性も出てきた。
 シャコデは釈迦(しゃか)堂がなまった地名で、廃寺跡の発掘は八年目。市教委の中野知幸学芸員は「宝達山を望む台地上に大規模な寺院があったことがあらためて明らかになった。平安後期に古代寺院の配置を引き継ぐ大寺院をだれがなぜ建てたか、謎が深まった」とし、今後は国や気多神社(気多大社)との関係を探る。
 二十日、現地説明会があり、二回で計二十余人が参加。同市粟生町、酒井正則さん(71)は「寺の南半分が分かり、寺の大きさがイメージできた」と話した。

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