<大波小波> 最後の創造
2021年11月5日 16時00分 (11月5日 16時00分更新)
フーコーが西洋社会における懲罰と監禁の歴史を論じた『監獄の誕生』を発表した時、盟友ドゥルーズは彼を歴史家とも思想家とも呼ばなかった。ただ彼を「地図作成者」だと評した。一枚の地図の下に複数の地層が隠されているからである。橋本治の遺作『人工島戦記』(ホーム社)を手にして思い出したのはこの言葉だ。
海に面した架空の都市で、港湾に人工島を作ろうという話がもちあがる。住民の間に反対運動が生じ、数多くの人物が現れては消えていく。三千枚を超える長編にして未完。血沸き肉躍る見せ場はどこにもなく、物語はいつまでも停滞したままである。だがこの小説において驚くべきことは、十五枚の詳細な地図と、百頁(ページ)を超える人名地名事典が付録であることだ。
この奇妙な書物のあり方は、橋本にとって本書執筆の動機が物語の妙にではなく、架空の固有名詞の考案と架空地図の作成にあったことを意味している。地図と事典が付録なのではない。物語の方が地図と事典の付録なのだ。橋本は世界変転のドラマではなく、世界そのものを無から創造することに、生涯最後の情熱を捧(ささ)げた。細かな地図を丁寧に読み解くと、そこに彼の戦後日本社会への疑念が...
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