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相模原事件5年 どう防げたか模索続く

2021年7月26日 05時00分 (7月26日 05時00分更新)
 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者十九人の命が奪われた事件から五年になる。園の元職員、植松聖死刑囚の陰惨な優生思想はなぜ、どう培われたのか。深い闇と重い課題を社会に突きつけたままだ。
 前兆はあった。死刑囚は恋人や同僚らに「障害者は生きていても仕方ない」「安楽死させたほうがいい」などと繰り返し、事件の五カ月前、衆院議長宛ての「犯行声明」を公邸の警備に手渡した。
 このため、相模原市長は、精神障害が原因で自傷や他害の恐れがある患者を強制的に入院させる「措置入院」を命じた。十二日後の二〇一六年三月二日、大学時代から毎日のように吸引していた大麻の影響が薄れたこともあり、措置入院は解除。両親との同居や通院など医師との約束は守らず、七月二十六日の凶行に至った。
 厚生労働省は事件後、「退院後の支援」に不備があったと総括した。一七年、退院後も行政や医療、福祉関係者、警察による総合的な支援を義務付ける精神保健福祉法の改正案が先議された参院で可決されたが、警察の関与や「監視強化」への批判は強く、廃案になった。厚労省は一八年、警察の関与は除いた指針を作成し、都道府県などに対策を促した。
 現場は運用に苦慮している。例えば毎年百人前後が措置入院に至る愛知県では、投薬治療などを経て、大半は三カ月ほどで退院するが、その後も、治療支援や心のケアを続けられるのは本人が同意した場合だけだ。対人不信などで拒否されると法的強制力はない。こうした患者は一九年に三十八人、二〇年に五十一人いるが、その後の消息は不明という。人権に配慮しつつ、継続支援や実態把握ができる仕組みを熟慮してほしい。
 植松死刑囚は友達も多く、社会から孤立もしていなかった。死刑が確定した昨年三月の横浜地裁判決によると、園に勤め始めた一二年ころは入所者を「かわいい」と口にしていたが、同僚が暴力を振るい、人として扱っていないと感じるうち、「家族や周囲も不幸にする存在」と考えるようになった。全国的に、職員による虐待件数はほぼ右肩上がりで増加しており、犠牲者も毎年出ている。
 事件はどうすれば防げたのか。あらゆる人々が支え合う「共生社会」の実現を見据え、社会全体で重い課題に向き合い続けたい。

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