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墳丘変化 耕作が影響 水白鍋山古墳の全体像 図面に

2021年5月10日 05時00分 (5月10日 10時07分更新)
測量調査が行われた水白鍋山古墳=中能登町水白で

測量調査が行われた水白鍋山古墳=中能登町水白で

中能登町教委 数千カ所の地点測量で裏付け

 中能登町教委は、同町水白(みじろ)の水白鍋山古墳(町指定文化財)の測量調査を終え、墳丘の段数など古墳の全体像を詳細に表した図面を作製した。細かな等高線を記した図面に仕上げたことで墳丘の削られ方が分かり、後世の人為的な要因で墳丘の段数が変化したことが裏付けられたという。 (大野沙羅)
 同古墳(全長六十四メートル)は、五世紀前半に築かれたとされる前方後円墳の一種で、ホタテガイのような形をした「帆立貝(ほたてがい)形古墳」として知られる。丘陵の尾根に多数の古墳が集中する久江川流域にあり、一帯では最も規模が大きい。一九〇六(明治三十九)年を最初に、これまで六五(昭和四十)年、八〇〜八一年と三度にわたって調査が行われてきたが、墳丘の構造などは明らかになっていなかった。
 測量は二〇二〇年十一月から始まり、今年二月に計十回の調査を終えた。墳丘の何千カ所にもなる地点を測量し、三月に図面を完成。担当する学芸員の福永徹さんによると、小さな起伏まで細かい等高線で表したことで、高低差や削られ方が詳しく分かった。
 土地の痕跡や地元住民への聞き取りから、古墳の上で畑を耕していた時代があり、元々二段だったと考えられる墳丘が耕作などの人為的な影響で三〜四段に増えたことが分かったという。福永さんは「図面を詳細に調べれば、造られた当時のオリジナルの箇所が見つかる可能性もある。古墳を破壊せず発掘地点を最小限に抑えることができ、詳しい構造や成り立ちが分かるかもしれない」と期待する。
 調査事業は一九〜二五年を予定しており、水白鍋山古墳のほか、同古墳の背後に多数集中する約五十個の古墳との関係性や歴史的価値を明らかにすることが目的。今後、さらに水白鍋山古墳の周囲の地形の測量や発掘を行い、周辺の古墳についても調査を進める。

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