本文へ移動

岩手・陸前高田「漂流ポスト」、大槌「風の電話」 忘れられない思い受け止めて

2021年3月9日 05時00分 (3月9日 05時01分更新)
長男智則さんが写ったアルバムを見返す高野慶子さん。手前は智則さんの愛車スカイラインの写真=宮城県南三陸町で(鈴木凜平撮影)

長男智則さんが写ったアルバムを見返す高野慶子さん。手前は智則さんの愛車スカイラインの写真=宮城県南三陸町で(鈴木凜平撮影)

  • 長男智則さんが写ったアルバムを見返す高野慶子さん。手前は智則さんの愛車スカイラインの写真=宮城県南三陸町で(鈴木凜平撮影)
  • 慶子さんが智則さんに宛てて最初に書いた手紙=岩手県奥州市で(鈴木凜平撮影)
  • 森の中にたたずむ漂流ポスト=岩手県陸前高田市で
  • 庭園内の電話ボックス=岩手県大槌町で
  • 電話線のつながっていない黒電話=岩手県大槌町で
 東日本大震災で亡くなった人への思いを、手紙や電話で受け止めている場所が岩手県にある。陸前高田市の「漂流ポスト」と、大槌町の「風の電話」。あの日から月日はたったが、悲しみが癒えるスピードは一様ではない。
 「おーいトモ おかあさんだよ〜 元気かぁ?」
 青い便箋に絵文字付きの言葉が並ぶ。差出人は、津波で長男の智則さん=当時(22)=を失った宮城県南三陸町の高野慶子さん(57)。メールを送る感覚で書いた。「改まって書いたら、空の上で読んだ時にびっくりするでしょ」
 十年前。避難先で「警察署の三階まで津波が来た」と周囲から聞いた。署の裏の自動車整備会社で働く智則さんがすぐに思い浮かんだ。何度電話してもつながらず、避難所を訪ね歩いた。四月三日、遺体で見つかった。
 智則さんは幼少時から大の車好き。専門学校で自動車整備を学び、アルバイトで黒のスカイラインを購入した。慶子さんが借りて操作に手間取ると、運転を代わってくれた。自宅で友人の車を修理することも。「優しい子でした」と振り返る。
 慶子さんは震災後、暗い場所では停電を思い出し、不安になった。水が怖くて海も直視できない。空に向かって「トモー」と声を掛けては泣いた。六年前、亡き人への手紙を受け付ける「漂流ポスト」を新聞で知り、すがる思いで「おーいトモ」と初めて手紙を書いた。投函(とうかん)すると、智則さんに届く感じがした。悲しみをはき出せたような気もした。暗闇や水への恐怖も薄れた。
 漂流ポストは、陸前高田市で喫茶店を営んでいた赤川勇治さん(71)が一四年に開設した。喫茶店に来ても、心を閉ざす被災者らに接して「手紙なら思いを書けるのでは」と思い立った。届いた手紙は六年間で約八百通に上る。
 慶子さんは「空の住人」の差出人名で投函したことがある。「ポストを作ってくれてありがとうございます。おかげでボクはおかあさんの手紙を読めました」。赤川さんは「私はポストを置いただけ。それでも救われている人がいると分かってうれしかった」と話す。
 「待ってるよ」。空から声が聞こえる気がして、慶子さんは今年も十一日に届くように手紙を出した。長男がいない寂しさはある。でも、書くことで少しだけ前を向けた気がする。 (鈴木凜平)
 ◇ 
 漂流ポストの宛先は、〒029 2208 岩手県陸前高田市広田町赤坂角地一五九の二「漂流ポスト」。赤川さんはすべての手紙を読んでいる。手紙はファイルにとじられ、同所で原則公開されているが、匿名や非公開希望も受け付けている。

大槌の高台「風の電話」 ダイヤル 亡き人へ

 太平洋を望む高台に英国風の庭園がある。「風の電話」と名付けられた電話ボックスはその一角にあるが、電話線はつながっていない。「お父さんの声が聞きたくて来ました」「悲しくてもつらくても、それでも一歩前に進むよう努力しています」。今も多くの人が訪れ、ノートに思いを記している。
 設置したのは、ガーデンデザイナーの佐々木格(いたる)さん(76)。きっかけは、仲が良かったいとこの男性=当時(69)=を二〇〇九年にがんで失ったことだ。「会えなくなった人と話せる場所があれば」と不用品のボックスを譲り受け、震災直後の一一年四月に完成させた。
 電話の存在は人づてに広がり、絵本の題材となり、映画化もされた。今は被災者だけでなく、自殺した人の家族やかつての戦争で戦友を失った高齢者らも受話器を握る。これまでに四万人超が訪れたという。
 「震災で残された人にとって貴重な場所になった」と佐々木さん。「亡くなった人とは実際には話せないが、(風の電話は)思いを受け止めてくれるものだと考えている。これからもあり続けないといけない」と話した。 (梅田歳晴)

関連キーワード

おすすめ情報

刻む ~東日本大震災10年の新着

記事一覧