遣唐使船リアルに復元 県内考古学者と造船所が模型製作中

2020年12月31日 05時00分 (12月31日 05時02分更新)
製作が進む遣唐使船の模型を視察した九州国立博物館の一瀬智主任研究員(左端)と岡村造船所の関係者=松崎町の岡村造船所で(山田英二撮影)

製作が進む遣唐使船の模型を視察した九州国立博物館の一瀬智主任研究員(左端)と岡村造船所の関係者=松崎町の岡村造船所で(山田英二撮影)

  • 製作が進む遣唐使船の模型を視察した九州国立博物館の一瀬智主任研究員(左端)と岡村造船所の関係者=松崎町の岡村造船所で(山田英二撮影)
  • 模型の外壁は、板を何枚も重ねる「鎧張り」で復元されている=松崎町の岡村造船所で(山田英二撮影)
  • 考古学の研究から「遣唐使船の外壁は確実に鎧張りだった」と話す東海大講師の木村淳さん=静岡市清水区の東海大で(立浪基博撮影)
 押印文化や仏教など、現代に通じる文化を中国から持ち帰った七〜九世紀の遣唐使。最新の知見を求めて命懸けで海を渡った遣唐使の旅を支えた船の実像は謎に包まれている。そんな遣唐使船の本来の姿に迫る模型が、来年二月ごろには完成する。手掛けたのは静岡県の水中考古学者と造船所。同考古学の知見を反映した復元は国内初で、歴史の解明に期待が寄せられている。 (五十幡将之)
 唐で学び、真言宗を開いた空海や天台宗の開祖最澄、百人一首で知られる阿倍仲麻呂…。歴史上の重要人物を運んだ遣唐使船だが、当時の姿を記した資料はほぼ残っていない。
 鎌倉時代の「吉備大臣入唐絵巻」の絵が有名だが、描かれたのは遣唐使廃止から約三百年後。仮に外観は参考にできても内部構造は不明で、これまでの数々の復元船は「想像」というのが関係者の間の通説だ。
 東アジアの沈没船研究の第一人者で、東海大海洋学部(静岡市)講師木村淳(じゅん)さん(41)の約二十年にわたる研究から、千年以上前のアジアの船の特徴が徐々に明らかに。考古学的な時代考証をへた復元が可能となり、アジアとの文化交流の歴史を研究する九州国立博物館(福岡県太宰府市)が模型の新造に当たり、木村さんに監修を依頼した。
 従来の復元船との一番の違いは外見と骨格。それまでの現代船の常識から、水に触れる外板部は、板を平らに接続する「平張(ひらば)り」を採用していた。
 しかし、中国の海底で発見された十二〜十三世紀の沈没船に着目した木村さんの研究で、中世東アジアの商船は外板を一部重ねて継ぐ「鎧(よろい)張り」が主流で、平張りは後世の技術と判明。鎧張りは遣唐使船が活躍した時代にもさかのぼる可能性が高いという。
 船内を仕切る「隔壁」も、中世の中国商船では現代の倍近い枚数が設置されていたことも判明。甲板下は一〜二メートルほどの間隔で仕切られ、中国から文物を持ち帰ることを重視した構造の可能性が高いことなどが分かった。
 復元を担うのは、木造船製造技術の高さを買われ、自治体や企業の依頼で数々の遣唐使船復元を手掛けてきた松崎町の岡村造船所。岡村宗一会長(73)は「従来の常識との違いに戸惑ったが、徐々に実態が分かる点が歴史の面白さ」と話す。
 木村さんは「遣唐使船の本当の姿や構造が分かれば、遣唐使の役割や目的がさらに明確になる可能性があり、日本のルーツを探ることにもつながる」と語る。
 模型は全長百四十五センチ、幅約三十二センチで、実物の二十分の一の大きさ。スギやヒノキ、ケヤキで造られ、来年二月末には完成の予定。九州国立博物館で展示される。
 博物館の一瀬智主任研究員(42)は「平仮名も遣唐使が持ち帰った書の文化から生まれるなど、功績は色濃く残る。館内には遣唐使船で運ばれた宝物の模造品もあり、復元模型を通じ、当時に思いをはせてほしい」と期待する。

 遣唐使 630〜894年(飛鳥−平安時代)の日本から先進文化の導入と外交関係の維持などを目的に唐に派遣された外交使節。十数年おきに15回ほど派遣されたとされ、4隻の船団を組む姿から「四つの船」とも呼ばれた。船の大きさは推定長さ約30メートル、幅約8〜10メートルで、1隻の乗組員は使節や留学生、僧侶、水夫ら推定百数十人。竹を編んだ「網代帆(あじろほ)」で風を受けて進み、3〜4日から数週間で東シナ海を渡った。往復の成功率は6〜7割程度だったとされている。


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