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とびうお杯

水泳の魅力を次世代へ とびうお杯に田畑さんの理念

田畑政治さんへの思いを語る藤原靖久副会長(右)と宮崎篤副理事長=浜松市中区の浜名湾游泳協会で

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 「子供たちに水泳の魅力を伝え、競技力を向上させる」。四日開幕した「とびうお杯全国少年少女水泳競技大会」は、一九六四年の東京五輪開催の陰の立役者になった浜松市出身の田畑政治さん(故人)の思いがルーツになっている。大会実行委員会に名を連ねるNPO法人「浜名湾游泳(ゆうえい)協会」の設立者の一人でもある。二〇二〇年の東京五輪を前に、関係者は「田畑さんの理念を根付かせ、花開かせていきたい」と願う。

 田畑さんは決して強いスイマーではなかった。病弱のため、選手としては目立った成績を残せず、早くから裏方として水泳界を支える道を目指した。旧制浜松中学(現浜松北高校)を卒業後、近隣の学校との合同水泳大会を開こうと設立に奔走したのが、日本で初めての社会スポーツ組織とされる浜名湾游泳協会だった。まだ十八歳のころだ。

 東京帝国大(現東京大)を卒業後、新聞記者として働きながら三一年、水泳の日米対抗大会を企画。翌年にはロサンゼルス五輪の日本の水泳総監督を務めた。

 スポーツを通じた平和の祭典を目の当たりにした田畑さん。戦後、壊滅状態だった国内スポーツ界と日本そのものの再建のため、東京五輪開催を目指した。都知事ら関係者を回り、賛同者を集め、開催が決まった。アジアで初の開催になった六四年の東京五輪では、大会組織委員会事務総長に抜てきされ、運営組織づくりを担った。

 浜名湾游泳協会の藤原靖久副会長(73)=浜松市南区=は田畑さんについて「縁の下の力持ちという存在で、派手な人ではないが、意志が強い人だったと思う」と語る。

東京五輪開催に尽力した田畑政治さん=浜名湾游泳協会提供

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 とびうお杯は田畑さんが亡くなった二年後、八六年に始まった。大会名は、田畑さんと親交のあった浜松市出身の水泳選手で、戦後間もなく世界新記録を連発して「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた古橋広之進さん(一九二八〜二〇〇九年)に由来する。古橋さんは日本水泳連盟会長や日本オリンピック委員会会長を歴任した。

 とびうお杯は、小学生大会で唯一の日本水泳連盟公認大会となり、岩崎恭子さんや北島康介さんら五輪金メダリストも輩出した。三十三回目の今大会も次代の「トビウオ」たちが全国から集まってきた。

 浜松北高出身で田畑さんの後輩にあたる宮崎篤副理事長(64)=同市西区=は「田畑さんも天国でこの大会を見ているはず。二度目の東京五輪を前に、日本の水泳界の裾野はこんなに広がりましたよと言える大会にしたい」と強調した。

 四日に会場で始まった「田畑政治展」に、田畑さんの長男和宏さん(78)=東京都=が訪れた。「父は浜名湾游泳協会の設立で人生が変わり、水泳にのめり込んでいった。根っからの遠州人だった父は、とびうお杯から世界で活躍する選手が育っているのを空の上でとても喜んでいると思う」と目を細めた。

(篠塚辰徳)

 <たばた・まさじ> 1898年、浜松市中区成子町生まれ。東京帝国大(現在の東京大)法学部卒。朝日新聞社の政治部記者などの傍ら、日本オリンピック委員会総務主事や日本水泳連盟会長、東京オリンピック大会組織委員会事務総長などを歴任。1977年に日本オリンピック委員会名誉委員長。84年、85歳で死去。

 

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